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中国人のビジネス感覚 (8) [ビジネス]

昨晩テレビで、オバマ大統領と鳩山総理の共同記者会見を視ました。
意見の異なる問題に触れると先に進まないという台本通りといった
何とももどかしいものでした。



第3ステージは私にとって中国との商談の場であった
広州交易会という存在の必要性がだんだんと薄れていく
時期に当たります。
これまで見て来たように、中国の1977年という年は
鄧小平が主導した改革開放路線の第一歩の年で、
その後中国ではあらゆる方面でその影響が
劇的に現れ始めたわけです。

私が始めた『いずみ産業株式会社』も1977年の創業で
こうした中国の変化が石材の分野にも当然影響をもたらした事は
明らかでした。
私も懸命にこの変化についていきながら、
一つ一つ乗り越えて行った感じがします。
さて、交易会での商談相手は北京総公司から、
いつの間にか、各省分公司に変わって、彼等は自省の石材産品の売り込みに
精を出すようになります。


売れ筋商品(A)を扱う省とそうでない商品(B)を扱う省とでは商談会場の
雰囲気も異なって来ます。この場合(A)は原石の#603で、他は殆どが(B)と
言う事になります。#603原石が売れ筋と言われる所以は、
元々日本石材市場で中国石材の必要性はなかったところに
日本の買い手側の多様な事情から買付の必要性があり、
提案される多種類の中国花崗岩(石)の中からなんとか使えそうな
銘柄として多くの買い手が#603を選んだのでした。
ですから#603の窓口は圧倒的な人気で商談のアポは中々取れません。

しかし、#603の原石の埋蔵量はとてつもなく大きく、掘り進んでいく中に
品質も安定していき、次第に日本の市場で受け入れられていくのです。
この頃には既にそのような評判を得ておりましたので、
先に述べた商談の情景となったのです。

私は、新会社いずみ産業の経営を成功させるためにも
売れ筋の#603は出来るだけ多く取り扱いたいと思って、
商談に臨むのですが、例の如く”没有”の連発で困りました。

玉が出るまでアポイントを取り続ける傍ら、
(B)商品の中から、販売出来そうな物を少しばかり、
選びに選んで買うしかありませんでした。

やがて、中国側が各日本商社の動きを掌握し始めた頃、
#603の商談が開始されます。
一斉に各社が先を競って#603の”配慮”を出来るだけ多く受けようと、
熱心に頼み込むわけです。
中国流の実にうまいやり方に乗せられて、
輸入商談が進むのです。

どうやら、私も#603を配慮してもらい、原石商社としての
面目が立つ程の量の契約が出来ました。
 
1980年切断機.png
1980年頃 東和石材で#603原石切断中



この中国側のやり口は別の商品でもよく行われていた事が知られています。
例えば、中華料理用の食材の”くらげ”とか”貝柱”とか、
仕入れれば必ず高価で売捌ける商品は配慮物資といわれ、
それでのみ生活が出来ているという、
小さな友好商社に対して行われていたやり方でした。

これらの小企業は私も含めて、見方によっては、
中国に食べさせてもらっていたと言えるのでしょう。

しかし、私としては現実はそこから始まったとしても、
いつかはその力関係を変えなくてはならないとの思いはありました。

会社を始めて7年が経った頃、私の会社は中国石材輸入専門商社として
一応の形が出来上がっており、
創立7周年の記念事業として、業界初めての単独での中国石材展を開催する事を計画し、
実行したのです。
1984年の事です。
この展示会を契機に私の会社は次の飛躍に繋がっていったのです。
(つづく。。。)


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