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お墓はパーソナル・パワースポット2016-3-17(その5) [思索]

  その時の「分骨」の手続きは新規に求めた墓地所有の証明書と交換に菩提寺のご住職から分骨証明書をもらい再び新規墓所の管理者にわたして納骨するという手続きを経て、お墓を建立出来ました。私が求めたお墓は私が住むところから車で15分くらいの近くにあり、お墓参りにはとても便利になりました。今年のお彼岸も家族でお墓参りに行きますが、パーソナル・パワースポットであるお墓の前で私はいつものように話しかけをするつもりです。今回、報告や相談事等沢山ありますので、何から話しかけたものかと今から心の整理をしています。(おわり)
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お墓はパーソナル・パワースポット2016-3-16(その4) [思索]

  どの家族にも、その家の事情というものがあるように、私の家族にも避けられない変化が起こりました。それは、父が今から20年前に死亡した後に5年程経って三男の弟が59才で急逝し、遺骨を父の眠る墓に納めてありました。そして、今から10年前に母が亡くなり、そのお墓に眠っているのでしたが、我が家の事情と云うのは父が建てたお墓は長男の私が受け継ぐという不文律が四人の兄弟の間にあったものの、三男が亡くなり、そのまま父と一緒のお墓に祀られており、これから先どうしたものかと皆で考えねばならないという状況になりました。やがて、次男、四男は夫々自分でお墓を求める決心をして実行しています。従い父の建てたお墓をどうするのかについて最終的に兄弟家族で話し合った結果、三男の妻がそのまま引き継ぐことになり、私は別にお墓を作ることに決め、そのためにそこから分骨の手続きをとることにして新たにお墓を求めました。つまり、長男の私は並木家の菩提寺の檀家を離れることになったわけです。(つづく)
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お墓はパーソナル・パワースポット2016-3-15(その3) [思索]

  私は男4人兄弟です。父親が菩提寺にある我が家のお墓を建て替える話をしていた頃は終戦後のことで、私はまだ小学生でした。ですから、その時父は40歳台の初めだったろうと思います。その時の記憶に一番残っていることは、棹石に彫りつける文字の原稿を自分で筆をとって書いては書き直しをしていたことです。無論、正面の文字は『並木家の墓』でした。そして、両側面、裏側にも色々と書きたいようで小さい筆文字で何やら書いていました。だいぶ後になって、それらの彫られた文字を読むようになってわかったことは、父は兄弟姉妹が多かった中の出征して戦死した、私からすれば叔父の記録が彫ってありました。そんなことから、家族でお墓参りに行く時の私のお参りの対象はその叔父であることもあった気がしています。
 その頃一緒にお墓参りをした家族であった祖母も父も母もやがて亡くなり、そのお墓に祀られています。実は、10年程前に母が亡くなった頃我が家ではお墓のことで大きな変化がおきました。
(つづく)

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お墓はパーソナル・パワースポット 2016-3-14 (その2) [思索]

  お墓がパーソナル・パワースポットと考える根拠は、私自身これまで何回も、何10年にわたりお墓参りをして体験した事を通して感じて来たことがあるからです。お墓参りは必ずしも血縁関係のある人だけでなく、著名人の墓に目的をもって、或は旅先で訪れお墓参りするケースもあったりします。後者の場合はパーソナルという意味合いがやや薄れるのかも知れませんが、前者のケースが私の云うパーソナル・パワースポットなのです。墓前に手を合わせる行為から、たちまち私の中ではそこに祀られている故人達のイメージが、次々に脳裡をよぎり始めます。瞬間的に父であったり、母であったり、祖母や祖父の顔もうかびます。その時の私の思いを、以心伝心で交信します。自分が悩んでいたり、考えていることとか、色々な報告や場合によっては相談事もあったり、短い時間での話しかけを通して自分なりに納得した気持ちになれます。これはすごいことだと思っているのです。多分まわりは私が一体何を話しているのかわからないと思います。ですから尚さら、本気で対話出来てしまいます。ここでのミソはどんな内容の対話であったとしても声に出さない、それこそ以心伝心ですから満足感は大いにあるわけで、お参りした後は実に清々しい気持ちになれてパワーをもらった気持ちになります。即ち、私のパーソナル・パワースポットとしてお墓参りは私にとって大いに意義のあることなのです。(つづく)

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お墓はパーソナル・パワースポット 2016-03-12(その1) [思索]

 最近よくパワースポットという言い方を耳にします。私の理解としては、或る場所がそこを訪れる人に何らかの影響を与え、それにより力を得ることが出来るという場合に、そこがパワースポットと云われているのでしょう。その力とは人により、様々かも知れません。或る人は霊能力と思ったり、或る人は病気を治せたと思ったり又或る人は勇気や元気をもらったと思ったとか、普段ではあまり変化のない状態が、その場所に行ったことで何とはなしに今までとはちがった力を得たと思うような場所がいつか多くの人に伝わりパワースポットと云われるのではないかと思うのです。
 ここで、パーソナル(パワースポット)としているのは不特定多数ではなく、限定的な人達のみが個人的にパワーを得ることが出来る場所があると感じられる場所はいつも私が提唱して来たお墓のことなのです。春のお彼岸を前にこのことについて書こうと思います。(つづく)

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最近身のまわりで起きた事(非日常) 2015-12-30 (終) [カジノ]

 ところで、そんなマカオで何もせずに終ったのかというと、そのようなことはなく、私にとってまたもやめずらしい体験をすることになったのです。これは記録に価する出来事でした。前に、バカラゲームの話を書いた時に、セオリーの一つとして「ツラは張れ」というのがありました。「ツラ」とは、バカラゲームの基本ルールである配られたカードの合計数字の末尾が大きいか小さいかで勝敗が決まるやり方で、その結果が見えるようにボード上のます目にバンカー()とかプレイヤー()とかが記録される時、()又は()が続けて出る型をツラと呼ぶのです。単純な確率からすれば交互に出そうなものが様々な結果となり、実際には次がどちらが勝つかは予想出来ないのが通常です。だからこそゲームになるのですが、不思議なことに()()どちらか一方が連続して出るとその次も更に続くことが多いことから「ツラ」には張り続けることが多いというセオリーなのです。そのツラも3回から4回続いた時にそのセオリーを当てはめるべきか迷います。プレイヤーは夫々の判断で()()かを選択します。そのまま続けて張っていくプレイヤーがいると思えば、逆に張ったりして勝敗の結果はわかれることになります。そこで偶々5回目も同じ目となったとなると殆んどプレイヤーは次の目は同じ目と信じ全員連続する目に張るのです。これが「ツラに張る」状態です。しかし仮に皆がツラに張ったからといってその通りの結果でないことは当たり前で、結果はまちまちとなります。そこで6回連続して同じ目となった時ボードのます目は6コですから、ツラ状態がよくわかります。問題は次も続くかどうかが迷うことになります。そこで迷わず同じ目に張り続けるのはとても気が楽ですから殆どの人はそうします。しかし確率を考えると7回も同じ目が出るかどうか難しい判断となります。7回目も同じ目が出たとすると、ます目ではすぐとなりの右のますに記録が出て、丁度ローマ字でLの型が出来そうです。この辺りから仲間同志L(エル)が出たと思い、場はもりあがり始めます。

 さて、今回私に起きた話に戻します。実際の話、ボードの上から続けて6ますが()のツラとなりました。ここまではよくあるケースです。当然、続けて()に張るわけですが、心ではもうすぐ“P”に変るかも知れないと思いつつもセオリー通りに()に張り続けます。結果は()で連続7回のL型が見えたのです。久しぶりのL字と次第に気持ちが高まります。結論を急ぎますと、8回目も9回目も()が続きその後3回引き分けのを入れて都合21()に張ったまま勝ち続けることが出来たのです。つまり、()の目が出るまで()18回出続けたことになります。勿論私は、こんなことは初めてのことでした。終わり良ければ全て良しの今年の戦いでした。(おわり)


最近身のまわりでおきた事(非日常) 2015-12-29 (その2) [カジノ]

  今年も何回かマカオに来て感じていたことは中国の政策の影響から、中国人客の減少が続いており、観光客も買物客も、そしてカジノ客もかつての人混状態が段々と解消してきたことです。新聞等でもそのことは報告されていて確かなことと思っていましたが、今回、今年最後のマカオということから、いつものLホテルだけでのテーブルばかりでなく以前に行ったWホテルのテーブルはどうだろうかとのぞいて見たくなり、向かいました。すると、まず目に入ったのはホテル周辺はあまりにも人がいないことでした。少なくとも私の持っていたイメージとは異なります。入ってからロビーにも人はまばらです。カジノはどうかと足を踏みいれて見るとアッと驚くほどの光景です。以前の様子とは、まるでちがいました。あの広いカジノスペースのレイアウトが変わってしまい、テーブルゲームのコーナーのいくつかはマシーンが設置されてしまったものの、あのうるさい音も聞こえません。マシーンで遊ぶ人がいないのです。そればかりか残る他のテーブルもディーラーもゲーマーはいません。どうなってしまったのかとしばらく歩きまわっていると、奥に何やら人の気配がある部屋があり入口はドアでしきられているのです。近よって見ると、何と喫煙OKの案内があり中に入って見るとやっとゲーマーを見つけることが出来ました。つまり、バカラのゲーマーの中にはたばこをはなせない人が多くいるのですが、殆どのカジノは禁煙とした為もありゲーマーの数の減少の一因となっていましたところに、客の激減をくいとめるためにとった方針換えかと思いました。さらにバカラテーブルに近よって見ると、ベットの最低金額は3000HKドルとなっていました。これで客の数が少ない理由が納得出来ました。いつも私がすわるLホテルのバカラテーブルは最低ベット金額が50HKドルや100HKドルのテーブルもあり、さすがにゲームを楽しむ人は減ったとは云えそれなりにいたので、今回実際に見たWホテルのカジノの景色はがく然としてしまいました。(つづく)


最近身のまわりで起きた事(非日常) 2015-12-26 (その1)

偶々中国深圳市に用事があってその帰途、マカオに立ち寄ってから今日(12/25)香港空港から帰国します。23日のいつもの短い旅行です。忘れない中に体験したことなどを今朝ホテルで書いています。私の中国出張は殆ど福建省ですが、今回は久しぶりに広東省の深圳で実は出かける前にニュースで深圳の大規模な地すべりの事故がおきて、工業用地の工場や建物30棟が倒れて人が数十人亡くなったということを知り、相当程度混乱しているのではないかと心配でした。来て見ると全くといって良い程その事故の話は出ませんでした。

深圳は今から44年前、前にいた会社で中国広州交易会に参加するため、出張した際の経由地で当時の訪中の厳しさを思い出したのですが、その時の深圳は香港市内から鉄道で香港側の羅湖駅で降りて歩いて国境の橋を渡り中国側の深圳駅についた時の様子や深圳駅のプラットホームから見わたす田園風景を思い出しました。今眼前に展開する街なみは、あの時眼にした深圳なのかと思う程の別世界でした。無数の高層ビルが立ちならぶ街の道路は広くてまさに大都会です。この広い街の中にいては、日本で知ったテレビの事故のことは聞こえてこないのも分かります。しかしながら、大事故であることは間違いなくそれも発表によると人災と云われる事故のことがこのまま忘れさられるとは思いません。

せっかく深圳まで行くからには、マカオに立ち寄るのは予定の計画でした。深圳市内からマカオ行のフェリー乗船場がある蛇口までは高速道路で行きます。そこで海関を通って1時間超の快適なフェリーに乗って、いつものマカオのフェリーターミナルにつきました。(つづく)


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最近身のまわりで起きた事(日常) 2015-12-12 (その11) [麻雀]

あの麻雀卓のその後はどうなったのか。次の週の雀戦を行うにあたり、世話役の仲間が修理の業者に連絡をとり、試合前に直してもらうことになっていたのですが、早めに来る筈が遅れて来て、すぐに直しの仕事にかかってもらいその間に私達は昼食をすませる段取りとなりました。食事をすませた頃にはさすがに修理は完了していましたが、実はそれからのやりとりが、今回の話のヤマバなのです。修理代と出張費を支払うことになりましたが、その業者がいうには、これで完全に卓は動くが、何しろ古いもので数か月の中にまた来ることになるでしょう。自分は商売だから呼ばれれば来るが、その度、費用は頂くことになりますよ。もしよろしければ新品の雀卓を持参して来ているので、特別割引で譲るがどうだというのです。さっそくその場で私達仲間4人は鳩首会議の結果、新卓を買うことに決めました。ということは、中古の雀卓は調子が良いということで買ったものの、故障つづきで代金は無駄になってしまうし、無用の長物となってしまい始末が悪いことになります。そこで、考え方を変えて中古雀卓を買ったのではなく、ついて来た椅子4脚を買ったと思うことにしようと各々いいきかせることになりました。どうやら椅子は十分に使えます。その日は新卓で気持ちよく遊べたのですが、よくよく考えてみれば、はじめから新品を買うように仕組まれていたような気がしてなりません。その後、新卓での戦いは続けられ、当たり前ですが今のところ故障は一度もありません、という結末でした。(麻雀の項おわり)




最近身のまわりで起きた事(日常) 2015-12-7(その10) [麻雀]

  最近のブログを読み返して気づいたことがありました。或る日にブログは完結したことになっていまし たが、何となく終わっていない雰囲気がただよっているのです。私のくせで、その時、続きを書かねばならないような気がしているまま、終わらせようとする時「おわり」と書けずに「とりあえずおわり」等と書くことがあります。この「とりあえずおわり」とした話というのは中古の電動麻雀卓を入手したくだりで、結局手積み麻雀をすることになった話でした。あれから3週間経過しましたから、その後の事実を書くことが出来ます。どうでも良い話とはいえ、後々読み返した時それらがどうなったのかと気になることもあるやも知れぬと思い、念のためその後の話を書くことにします。(つづく)
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