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最近身のまわりで起きた事(日常) 2015-11-28 (その9) [健康]

 私は料理について薀蓄を傾けるつもりではありません。というより知識もそれ程ないし、研究もしたことがないので専ら消費者の1人としての感想を述べているだけなので、ためにもならなければ腹のたしにもなりませんから読み捨てて下さい。
 さて、どうやら肉食の摂取をこわごわ再開しつつあるわけですが、肉食で忘れてならないのはステーキです。これまで、随分ステーキは色々な場面で食した覚えがあります。その中の一つ、かつて私が若い頃中国へ出張した時、牛肉の料理を頼んだ時、出て来た肉はとても固くてかむとゴムのような感じです。香辛料もつよく、何とかのみ込めたのを覚えています。牛は牛でも水牛の肉だということでした。以来しばらく中国の牛肉は水牛の肉と思っていました。ところが、最近仕事で訪中した際、出された牛のステーキは一口食べ気づいたのはそのやわらかさで、そして美味しさでした。美食家ではない私の口にもさすがに上等だと思わざるを得ませんで、思わずこの肉はどこの産かと聞いたところ何と、日本産だというのです。かねがね、日本産の米、日本産の酒はじめ色々な日本の食材が中国に輸入されていますが、日本産の牛肉を中国で口にした時の感慨は複雑でした。招待してくれた彼等自身が得意気に、ものすごく高価だがとても美味しいですよといっているのを目の当たりにして、どう反応したらよいのかと思ったものでした。
(つづく)


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最近身のまわりで起きた事(日常) 2015-11-25 (その7) [健康]

 私の年令で「健康を保持する」ことと「体力をつける」ことには大きな隔たりがあると思うのです。というのは、どちらを優先させるかを自らに問うとすれば、今は「体力をつける」ことを先ず考えますので、自分にそれだけの若さ素地が残っている証拠だと思うことにしています。しかし、いまのところ体力をつけるという目標に向かってあれもやりたい、これもやりたいと頭の中で思いをめぐらすことが多いのですが、ただちにそのためのメニューを始めることはしていません。
 例えば、鉄棒にぶら下がって懸垂をやり、腕立て伏せを何回と決めて何日も続けるとか水泳教室に通って、いつか競泳に出場しようかとか、走り幅跳びやって、少しずつ飛躍離を伸ばすとかすぐやれそうな運動をいくつか頭に描くばかりです。その気になれば、いつでも実行出来ると思っているうちは、まだ大丈夫かなと思い込んでいます。でも、その中に、やはり「健康を保持する」ことが先ず大事だと本気で思うようになった時が来るのかも知れませんが、その時は衰えを感じた時ではないだろうかとふと思ったりもします。ただ、最近は少しずつ肉の料理を増やすよう妻に頼むことが多くなりました。(つづく)

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最近身のまわりで起きた事(日常) 2015-11-20 (その6) [健康]

この年令になると、やはり一番に関心をもつのは自分の「体力の衰え」についてであります。「健康を保つ」とはやや意味合いがちがって来ます。体力の衰えは、鍛錬により維持出来たり、増強したり出来るものがあり、常々この部分をどうにかしたいという願望はあるのですが、中々出来ていません。先般、私の喜寿を祝ってくれた中国の仲間の1人から太極拳教則のビデオを一式贈られて、これを見ながら実修すれば健康にもよいし、体力もつくのはまちがいないと太鼓判を押されたのですが、以来3ヶ月程経ちますが一度もやっていません。最近テレビ等で年寄りがよく肉を食べるから元気で病気もしないという話題がとり上げられることが多いようです。実は私としてはびっくりすることで混乱しています。

日本人の食生活における西洋化、つまり肉食が増えたために諸々の健康障害がおきている、だから、年齢がいってからはなるべく肉食はやめて野菜食に特化すべきだと云われ続けて来たように思い込んでいました。動脈硬化や高血圧、脳梗塞とか恐ろしい病につながる元だと思い続けて来ました。昔から肉は私の大好物で、今も食べたい食物なのに、そうとう程度、おさえて来ました。老人はもっと肉を食べろという話は私にとっての朗報なのです。がしかし、永年肉は避けようと云いきかせてきたものとしては混乱しているのです。体を鍛錬しようとして運動したとしても肉食していなければ、筋肉はつかないというのです。(つづく)


ブログ再開します 2015-05-21 [健康]

 またまた長期に亘って筆を休めてしまいました。その間、何かあったのではないかとご心配されている人がいたと聞き、ブログ発信にとりかかることにしました。
一応ご報告しますと、先ず体調はすこぶる良くて元気を保っています。むしろ旺盛な食欲を抑えるのに努力がいる程です。
 私の場合、高血圧気味を薬で抑えているのですが、気になるのは腎臓の機能を見るクレアチニンの数値が低くならず、医者には食事療法が一番と云われ、塩分を抑えることを命じられています。従い毎月、毎週美味しいものを少量ずつ配分するのは中々気をつかいます。問題があるとすれば、今年の冬の天候は不順で寒かったので、毎朝の散歩を怠ってしまい脚力に弱みを感じるようになり、これを回復するため、このところ毎朝の散歩を再開しましたが、途中で腰をおろして休むことがあります。理由の一つには最近体重が増えたまま下がらないせいと思っています。こんな具合で健康状態がとても気になるものの、私の行動半径は広く頻繁にあちこちに行っております。仕事に、遊びにと、割と話題に事欠きません。
 次回からはそれらの体験の中から思い出すことなどを書いて見ようかと思います。どうかお付き合いの程お願いします。

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最近の私の体調 2014-06-24 [健康]

 さて、気力のことです。前にも書いたような気がするのですが、今回別の角度から検証して見ます。と書き出しましたが、やはり気力は十分に戻っていないのかも知れません。というのは、変な話ですがこれまでブログを書くときには前に書いたこととの整合性はどうかがとても気になり、遡って読み返すことをしょっちゅうやっていましたが今はその気力を失っているのです。年齢のせいではなく、あの消耗状態からまだ完全には立ち直っていないせいと思いたいのです。その一番の証拠は仕事上で長文の説明書や報告書等を読み終えるのはかなりの勇気が要ります。ベストセラー小説でさえも次々に読破する気がおきていません。というとまるで無気力な人間に見えるかも知れませんが、今月(6)はマカオでの戦いとか麻雀の定例会にも参加して、我乍ら見事な戦果を収めています。その最中は自分としては本当に気を入れて戦うことが出来ました。これは気力が充実していた証左にちがいありません。さらには中国の取引先の石材新工場オープンセレモニーへ出席のため出張してきました。ただ、私の偽りのない気持ちを云えば、私の気力は戻ることは戻ったのですが、持続できていないのです。ですからカジノにしても麻雀にしても長時間の連続は無理なのです。短い時間での戦いに集中することでよい結果を得ることを悟りました。いささか麻雀の勝ち逃げが気になるところですが、さすがカジノは勝逃げにクレームをつけるはずもないので今はいい気持ちでおります。(おわり)
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最近の私の体調 2014-06-23 [健康]

  私が大動脈瘤の切除手術を受けたのは平成2571日でしたから、もう少しで、まる1年が経ちます。その日のことは一生私の記憶に残ることでしょう。今さらのように大きな手術であったと思います。

 今日私が書こうとしているのは、私の体力・気力がどの程度回復しているのかについてです。体力と気力を一緒にするのはあまりにも大ざっぱになってしまいますので分けて考えることにします。

 体の状態については先日(65)執刀医である山内先生に診て頂いた時も特に何も云われず、半年後に診せに来るようにとのことでしたから、順調と勝手に思っています。私の年齢を考えると順調なのかそれとも、多少なりとも変調があるのか本当のところはわからないのです。私の記憶では体力の回復の具合は、私の若い頃のことが頭にあって、本来もっと早くにもとどおりになっていてもおかしくないのではないか、つまりは外目にはともかく、私の中では手術前のように自由がきかないと気になっているのです。

 例えば、動作がのろのろして昔のように俊敏でありません。歩行にしても、まっすぐに歩こうとすることに多少の努力を必要とします。年なのだから仕方ないことだとか年にしては順調ではないかと思われてはいないか、等々考えるとこの状態が順調なのかどうか明確に云いきれないのです。他にも自分だけが気づいていることがあります。階段の昇りの時とかほんの少しでも早足で歩いたりすると息苦しさを覚えるのです。この点は、かかりつけの医者で聴診器を当ててもらった時も「とても良いですね」という言葉をもらうとそれ以上つっこんで聞かないようにして、自分は何もないと思ってしまいます。75才の私がこんな風に考えたり、書いたりすることが出来ることが順調な回復過程にあると思うべきなのでしょう。(つづく)

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随想 2014-3-25 [健康]

 周囲を見渡すと、友人達は随分年寄りになっています。私も、いきりなりこの年になったわけではなく、一年一年歳を積み上げて来ました。自分としては若い時分には身体はいつも思うように動き、疲労してない限り肉体に不調はなかったので、ずっとその延長線で生きてこれたと思っています。ということは、私は自分が年寄りだと本気で思わないで来たのです。

 最近、私の友人、知人の様子に変調が多く見られます。Aは前立腺に癌を患い、Bは肺を切り取り、Cは原因不明のめまい、Dは突然にめまいを伴う意識不明、Eは緑内障を患い、Fは高血圧、Gは心臓手術等々一人一人を思い浮かべていると、何もない年寄りはいない気がして来ます。後期高齢者ともなれば何かしら問題をかかえることになるのは当たり前かと思うわけです。もっともっと深刻な病にかかる人もいることを考えれば、今のところ私の周囲の老人達はそれなりに生きながらえていると思います。

 ところで、白状しますと時たま随分と衰えたなと感じることがあります。テレビの声が聞き取れなかったり、動作が緩慢になったり、足下がふらついたり、物が見えにくくなったりすることがしょっちゅうあります。これは訓練したり、筋トレなどで改善するものかどうかも疑問に思えます。これらの老化現象に無理矢理逆らおうとすると「年寄りの冷や水」と云われるかも知れません。

(おわり)



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減量 2012-01-30 [健康]

昨年11月に体験した「断食道場」に、今度は妻と二人で12月31日から正月5日までの5泊6日の長期(?)滞在に挑みました。 前回の友人と3泊4日の試みで概ね実情を理解していましたから、2回目の今回は大晦日、元日と通常なら一年の大イベントの時節であることと、初めて体験する妻のことを考慮して、コースは2段目にゆるやかな「半減食」を申し込みました。文字通り、内容は少なめの野菜と六穀米をほんのちょっぴりを例の通り朝10時夕方6時の2回に食し、1日のカロリーは400~500カロリーとのことでした。前回は報告したように私の体重は3Kg減り、その後そのままキープしておりましたので、道場の先生には優秀とほめられ今回も頑張ろうなどと殊勝にも思い込んだのです。 結果を先に申しますと、私はさらに2Kg、妻は3Kg減量できたことになります。これでよかったのか、本当のところよくわかりません。というのは、修行中(?)は間食もせず、あまり運動もせず、ただ時間の過ぎるのを待ち続けるのです。そして、読もうと持ち込んだ書物も手に取るだけで、すぐに投げ出す始末です。テレビを付ければ年末年始のあのいつものにぎやかな番組が映ります。美味しそうなおせち料理も脳裏に浮かんでは消えます。 私たちの部屋は2階にあり、温泉や治療室は地階にあり、エレベーターはなく階段を自分の脚で昇り降りするのですが、始めは何も感じませんでしたが4日目頃からとてもしんどくなり、終わりには何ともじっと立っていられない程ふらふらして、本当におっくうになってしまいました。私だけがそうなのかと妻に聞くと、妻も同様楽でないと言っています。確かに目方は減ったのですが、肝心のお腹の周りの脂肪は前と同じしっかりくっついたままです。後日行きつけの医師から年を取って絶食する場合、大概はたまった脂肪が減るよりも筋肉が溶けるのだという話を聞き、憮然としてしまいました。運動を続け、筋肉を鍛えながら、たまった脂肪を燃やすというエクササイズが出来ない年寄りは無理な減量は毒なのだと何となく理解して、ある程度のカロリーを摂取しながら、しかも量は7分目8分目とするよう心掛けるべしとしばらくは様子を見ようと思っています。私にとって、目が食べたくなり、食欲も若い者に負けぬ程あり、これを我慢するのは至難のことではあるのです。元気に生き、人生を楽しみ続けるためにも気をひきしめねばと言い聞かせている今日この頃です。
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健康の幸せ [健康]

こんにちは。
小学生の時の担任のおばあちゃん先生の言葉が今も耳から離れません。
『体は第一の資本。病気になるな。』


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イメージ写真 PIXTA

私の若い時のいろいろな運動経験が当然の様に私の体を強靭にしてくれたのです。
その後、独立して会社を興してから20年間位まで、私の肉体は強靭のまま保持されていました。お金ではない体力が貯金されていました。
年齢で言えば、57,8才位です。
余談ですが、先日の朝のテレビでロシアの
プーチン首相が56才で上半身はだかで水泳をしている画像をみました。そのコメントで彼のたくましい体つきが年齢を感じさせず、まだまだ政治的な力を温存させているのだろうというものでした。
ですから私もその頃までは体力には自信があったのです。
ところが、ある時、突然、背に激痛が走るようになり、どんどん体重が減り始めたのです。あちこち医者に見てもらっても原因不明で治療方法がありません。針を打ったりしてもよくなりません。
そんな或る日、地元の銀行の集まりに顔を出した時、隣の席にいた、Uさんから、今も空手をやっているとの話がありました。その時私は、是非習いたいと申し入れたのです。Uさんは早速師範に連絡をしてくれて,入門の許可をもらいました。
                                                             
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道場は近所の中学校の体育館を借りての練習でしたが、私はやる気でした。
体育館は空調がなく、暑い夏、寒い冬の練習は結構つらいものがありました。それでも練習を続けるうちに、いつの間にか背の痛みがうそのように消えてしまったのです。
正に60の手習いで、家族や周りの人々は、すぐにやめるだろう位に見ていたと思います。
ところが、信じられないかもしれませんが、修行の効あって、晴れて初段の免状を頂いたのです。  


薬師如来像:PIXTA




                                                                       
50代から60代に移行する頃、私におきたこの重大な体調の変化の原因は、実は私自身にあったのです。体力をついつい過信していた事による私自身の無謀な振る舞いが祟ったというしかありません。
友人達とラスベガスへ旅した折りに例によって、カジノにすっぽりはまってしまい、徹夜で戦いを続けてしまいました。後に、これが原因とはっきりと納得したのですが、カジノの中は冷房がしっかり効いていたのが全身に影響を及ぼしたのでした。背、肩を始め、手の先まですっかり冷えきっていました。しかし、旅行中は普通に行動出来たので、その時は何も感じませんでした。帰国していつの間にか肩の痛みが始まったので、ラスベガスでの一件とは全くと言って良い程、結びつかなかったのでした。その時、この痛みは加齢による体力の衰えからかと弱気でした。その痛みは深刻なまでに大きくなり、買薬ではどうにもならなくなり、先に書いた通り病院通いを始めたのですが、どこの病院でも原因は不明と、適切な治療方法がなく諦めかけていました。

そんな時に空手と出会ったのです。今では、あの激しい痛みは全く消え去り、体は元に戻っています。医者でない私が言うのも何ですが、完治した理由は空手の練習で体全体を動かし、適切に筋肉を使い体力をつける中に、体中で血流が活発化したことにあると思います。この血流が体の筋肉のすみずみまで行き渡ったことが、私の体の危機を救ってくれたと信じています。

空手が特効薬と言う事ではなく、重要なことは、「いくつになっても体の調子を取り戻す為に、体を動かして全身の血流を良くする事が大事ではないか。」と言う事です。更に、欲を言えば、足腰の筋肉が鍛えられるような運動を少しでも取り入れるともっと良いという事でしょう。私はこれからもその方針でやって行くつもりです。

今更のように健康の幸せを味わっています。
これに勝るものはありません。(おわり)  
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ダイアナ:ブロンズ像
            

少年時代の運動経験 [健康]

こんにちは。
今の私の健康に欠かせないのは、店に運動器具が売られてもいず、買えもしなかった時代に、自分の体をつかって遊んだ頃の事です。

終戦直後の小学生の頃の私の得意な運動種目に、
まず人間馬跳びがあります。
これは友人がひざに手をつけ、前かがみになった所を跳び馬の様に飛び越えます。
その馬の数を増やし乍ら、飛び越えるのですが、いつも私が人馬数最多をほこっていたのです。
ジャンプ力とバランス感覚が必要でした。
次に、思い出すのはこれも遊びスポーツのS(字戦)でした。
これは地面に大きなSの字を書いて、2つに分かれ、Sの丸い部分から外へ片足でぴょんぴょん出て行き、やはり片足の相手方ともう一方の足を使い乍ら戦い、両足をついた方が負けという遊びです。
これも私は最後まで勝ち残ったのです。
中学に入ると部活が有り、陸上部に入り、訓練を受けましたが、自慢できる記録はありませんでした。その頃すでに、球技や走りは自分に向いていないと思うようになっていました。
2年生から転校して、喜多方に移りました。そこでは、体操部に入り、どういうわけか好きになり、かなり真剣に練習に励みました。
床マット、吊り輪、鉄棒等一通りやりました。
高校になると、柔道部に入り、体操で鍛えた足腰を生かして、なかなか負けませんでした。練習の効あって、将来を嘱望される程まで腕をみがきました。しかし、段取試験に間に合わず、帯は茶色どまりでした。
また、2年生から東京へ転校することになり、そこで再び柔道部へ入部したのですが、ここでは苦い経験があるのです。
喜多方高校で、そこそこのところまで強くなっていたのに加え、転校先が進学校でもあった為、選手層も浅く、入部してすぐに選手に指名され、対抗試合に出る事になりました。相手は明大付属高校の体の大きな、いかにも強そうな黒帯です。
ものの見事に大外がりを受け、したたかに頭を床に打ち付けられたまま、失神してしまいました。脳震盪を起こしたのです。


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写真素材PIXTA

その次の大会に出場した時も、おはずかしながら、寝技に持ち込まれて、おくりえり首しめを受け、これもあっと言う間に失神してしまいました。
大学ではさすがに運動部に入るわけにはいかず、選択科目でフェンシングを選びました。
この辺りまで来ると、興味の本命はスポーツから離れていってしまった為、熱を入れて授業を受けた記憶はありません。わずかに、エペ・フルーレ、セイバーの名前が記憶に残ります。
就職してからは、自動車部の設立に加わり、そこそこの活動をしたのですが、これも失敗談があるのです。
参加したラリーの競技の途中、房総の田舎の砂利の坂道で運転を誤り、2M下の田んぼに車ごと、転げ落ちてしまったのです。
当時の大きく重たい手動タイガー計算機が車の中で頭にぶつかって来て、痛い思いをしました。
幸い生命は無事でした。
 
以上書いて来た通り、私は20才の前半位まで思い切り体を動かして、体を作って来たのだと思います。
(つづく。。。)

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  写真:タイガー手廻計算機博物館




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