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最近身のまわりで起きた事(日常) 2015-12-12 (その11) [麻雀]

あの麻雀卓のその後はどうなったのか。次の週の雀戦を行うにあたり、世話役の仲間が修理の業者に連絡をとり、試合前に直してもらうことになっていたのですが、早めに来る筈が遅れて来て、すぐに直しの仕事にかかってもらいその間に私達は昼食をすませる段取りとなりました。食事をすませた頃にはさすがに修理は完了していましたが、実はそれからのやりとりが、今回の話のヤマバなのです。修理代と出張費を支払うことになりましたが、その業者がいうには、これで完全に卓は動くが、何しろ古いもので数か月の中にまた来ることになるでしょう。自分は商売だから呼ばれれば来るが、その度、費用は頂くことになりますよ。もしよろしければ新品の雀卓を持参して来ているので、特別割引で譲るがどうだというのです。さっそくその場で私達仲間4人は鳩首会議の結果、新卓を買うことに決めました。ということは、中古の雀卓は調子が良いということで買ったものの、故障つづきで代金は無駄になってしまうし、無用の長物となってしまい始末が悪いことになります。そこで、考え方を変えて中古雀卓を買ったのではなく、ついて来た椅子4脚を買ったと思うことにしようと各々いいきかせることになりました。どうやら椅子は十分に使えます。その日は新卓で気持ちよく遊べたのですが、よくよく考えてみれば、はじめから新品を買うように仕組まれていたような気がしてなりません。その後、新卓での戦いは続けられ、当たり前ですが今のところ故障は一度もありません、という結末でした。(麻雀の項おわり)




最近身のまわりで起きた事(日常) 2015-12-7(その10) [麻雀]

  最近のブログを読み返して気づいたことがありました。或る日にブログは完結したことになっていまし たが、何となく終わっていない雰囲気がただよっているのです。私のくせで、その時、続きを書かねばならないような気がしているまま、終わらせようとする時「おわり」と書けずに「とりあえずおわり」等と書くことがあります。この「とりあえずおわり」とした話というのは中古の電動麻雀卓を入手したくだりで、結局手積み麻雀をすることになった話でした。あれから3週間経過しましたから、その後の事実を書くことが出来ます。どうでも良い話とはいえ、後々読み返した時それらがどうなったのかと気になることもあるやも知れぬと思い、念のためその後の話を書くことにします。(つづく)

最近身のまわりで起きた事(日常) 2015-11-13 (その3) [麻雀]

何と、またしても突然動かなくなってしまいゲームは中断せざるをえず、今度も雀卓の上板をあげて中をのぞきましたが、この機械は旧卓と構造が違っておりどうして直してよいか全くわかりません。そのうちにメンバーの1人が、実はこの雀卓は前に使ったことがあり直し方は多少わかるというので、あちらこちらいじくり回すうち、どうやら動いてくれてゲームは再開しました。その後、しばらく具合はよかったのでしたが、またまた動かなくなり、再び同じような手順でいじくりまわす中、一応動くようになりましたが、こんな調子では旧卓は交換しなければ良かったと思い始めたのです。この日は何となく気がかりのままそのままにしておくことになりました。

次の土曜日は別のメンバーに声をかけてありましたので、もし途中で卓がストライキを起こしたら弱るなと思いつつゲームを開始したのです。前回と同様始めの中はどうやら順調でしたが、またまた故障です。今度は誰もこの機械は知りませんので直すことは出来ません。しかし、夕方まで少し時間もあり、やめたいメンバーはおりませんでした。結局、電動卓の上で昔なつかしい手積み麻雀でもやろうということになり、今ではなれない手つきでかきまわして、積むというやり方でやること数時間、どうやら、夕方7時ごろまでそのままつづけて終了しましたが、これでは、これからどうするのかと思案にくれています。(とりあえずおわり)




最近身のまわりで起きた事(日常) 2015-11-12 (その2) [麻雀]

そんな時は、これまでは不具合の原因が分かっていますので、慣れたやり方でやりさえすれば、問題なく雀卓は機能するものと皆理解していましたのが突然様子が変わってしまいどうやっても下から上がってくる筈の牌が見えません。何回もくり返し試みましたがうまくいきません。そこでメンバーは異口同音もはや寿命だとさけび、その日はそのまま終了することにして、後で対策を別途考えようということになりました。ところが翌週になって仲間の1人から中古だがよく動く雀卓が手に入った、問題なさそうだというのです。そういうことなら願ってもないことだと早速受け入れることになりました。その週の土曜日にはもちこめるとのことで旧卓1台とその卓と交換作業も無事すませて午後から早速ゲームを始めることとなりました。打ちはじめると、確かに中古ではありましたが、見事順調に機能し皆で良い卓を手に入れたものだと大喜びで何回かゲームをすすめたのでした。

ところがです(つづく)


最近身のまわりで起きた事(日常) 2015-11-11 [麻雀]

だいぶ以前に書いたことですが、会社設立後15年間私は好きな麻雀を絶っていましたところ、妻が私と社員とのコミュニケーションをはかる手段にと電動麻雀卓2セットをプレゼントしてくれました。かれこれ24年間使用して来ました。その使われ方はいつの間にか社員とではなく、今は私と同年代にちかい中老年の仲間とやるようになっています。今日はその麻雀卓の話です。


 卓は2セットありますが、面子の関係で殆ど1卓でやることが多いのですが、均等に使い分けようと交互に使用しましたが、かなり前に片方の卓が不具合になりはじめもう片方のみ使うことになりました。どういうわけかこちらの卓は具合が良く、支障は起きませんでしたが、ここ半年位前から調子が悪くなりはじめたのです。お金を出し合って新卓にかえようという声があがっても決定とはいきません。そこで、使用してきた卓の不具合の原因をさぐっている中に簡単に修復できる方法が見つかったのでそのまま使い続けることになりました。因みにその修復の仕方というのは、卓上の4ヶ所ある牌が下からせり上がって来る部分の一ヶ所を指で押し乍ら、セットボタンを始動すると見事に問題なく開始できる状態になるのです。そのやり方で最近まで続けて出来たのですが、ある時それが効かなくなりどうしようもなくなってしまいました。   (つづく)


麻雀 2014-03-31 [麻雀]

 戦略的麻雀に切り換えてからの4回の戦績は、勝、負、負、勝と書いた後、5回目6回目の結果は勝、勝、で、私としては麻雀をあきらめるのはまだ早いとの思いを強くしています。42敗と勝星が先行したこの辺で勝因をさぐるよりも負けなかった要因を分析しておくのも意味があると考えているところです。勝の内容に楽勝と辛勝があるとすれば、楽勝は多分に運やツキが味方してくれたと思って良く、大がいの麻雀の打ち手は勝って当たり前の世界です。問題は辛勝のケースでの打ち方がどうであったかです。何が何でも勝とうとしない打ち方が私の戦略的麻雀と悟ってから、私なりに実証するつもりです。まだ、理論的に、体系的に整理出来ていませんので、実証の過程での勝手なつぶやきを開陳しています。従って、読者には聞きながし、読みとばしをしていただき、あまり詮索しないで頂きたいのです。今のところは。 私が考える負けない麻雀を打つ条件
 第1に、体の調子が良くないと自ら感じている時とか気分が乗っていない時は出来ることなら戦いに臨まない。
 第2は、それでも戦わざるを得ない時は、自分の手づくりもさることながら、相手の動きに注意をはらう。最も重要な情報は誰がいつテンパったかである。ダマテンの気配を察知出来るかどうか。
 第3は、一手遅れて自分が高い手をテンパった際の対応に最大の配慮をしなくてはならない。経験的にこの時の捨て牌は危険性がありこれにつかまることが多い。
 第4に、その様な場面で勝負に行くかオリるかを瞬時に決める必要がある。ここで迷うさまを見せると相手に自分の情報が読まれてしまう。
 第5に、こういう場面を予め想定しつつ、安全牌を確保しておくのが得策であるが、完全安全牌を残そうとすれば後から見れば有用牌を捨ててしまったことになり、手づくりに失敗することも有る。
 第6、体力、気力が充実している時は五感が鋭敏にとぎすまされているので、自分が切ろうとしている牌が当たり牌ではないと云う確信的な勘がはたらき勝負を制することが出来る。などと、つぶやけるのも今のうちかも知れません。(おわり)

麻雀 2014-03-17 [麻雀]

 戦略的麻雀に切り換えてから最初の戦果はうまくいったと書きました。
このままにしておくと、私が会得した戦略的麻雀で私がこれから勝ち続けるのかと読者が思ってしまう恐れがあると内心気がかりでした。
 一方、そんなこと誰が信ずるものかという思いもあって、実は私としては実戦結果をみることにして、あれから3戦したのです。つまり、戦略的麻雀に取り組んで以来都合4戦です。事実を書きますと、順に勝、負、負、勝の結果でした。私としては、未だ絶対負けないとは断言出来ないと深く反省しているところです。
ただ、今云えることは上記2負の時と2勝の時とでは、自分の中に明確な違いがあったと感じていることです。その違いについて得意気に云うのはやめておきます。もう少し様子を見てからにしようかと思います。 (おわり)

趣味 2014-02-02-26 [麻雀]

 さて、先週の戦いにおける私の戦略はまず、勝つと思わないこと。このテーマで考えていたら、ふと美空ひばりの『柔』の文言が浮かんで来てしまい、我乍ら苦笑をこらえられません。どう云えばよいのでしょう、柔道でも麻雀でも戦いに臨んで『勝つと思うな思えば負けよ』は真理なのですね。
 先日終わったソチ・オリンピックでメダル獲得の期待が余りにも大きかった選手等がメダルに及ばなかったニュースが日本中をかけめぐりました。本人でなければ分からないことですが、もしかして本人達は期待通りの結果を出すために、勝つことしか考えられなかったのかも知れないとふと思ってしまいました。だとすれば、ここでもこの真理がはたらいたのかも知れません。
 それはともかく、私は勝とう勝とうとする気持ちを押え、相手の動きを見守ることにしました。負け続けていた時は、見えざる敵に備え不要と判断する牌を早め早めに切って、手の中にある4つのメンツと雀頭1対を完成すべく、ツモっては切り、ツモっては切りをすることが多かったのでしたが、場の捨て牌を見ると手の中のメンツよりも先にメンツが出来ていることがあり、その度に悔しがって自分の打牌の手順がまずいことをすぐ顔や声にして相手にわからせる結果になっていたのです。さらには早く上がることだけが頭にあって役牌が手の中にあると、あわててポンをして安上がりに甘んじたことは始終でした。この日は、この辺りの愚策を一切やらず、じっくりと場の流れを読み自分の流れを整えていく中に手の中は目を見はるばかりの変化があらわれ、ふりこみもたった1回を除きありませんでした。しかもその時の1回の失策は今も状況をはっきり覚えている程、冷静であったと云えます。しかし、それがまずい捨て牌であったのはまちがいなく、まだ完全に立ち直っていない自分に気づいていました。
 勝つと思わなくなって、牌の流れだけではなく相手の眼の動きなども察知するようになると捨て牌がすでに危険牌になっているかどうかも敏感に伝わってくる気がしてくるのです。そうなると、まわりこんで安全牌から切り出します。
 次に自ら高い手がてんぱった時、リーチせず『だまてん』をきめこむのですが、これがいつの間にか悟られてしまい相手がおりはじめて『だまてん』の意味がなく場が流れることもあったのですが、この時は気配を出すことなく相手が気づかぬ中に打ちとることも出来ました
 もう少し一段高い戦略で未だ私の思い通りにならないのは、誰からでも上がれば良いのではなくて、その回のトップをとるか2番に甘んじるか最悪でも3番におさまるか、4番手は絶対に避けるにはどうするか、これは早い中に作戦をねる必要があるのです。これは戦いの行方を想定しつつ最適な手を打つ、これは必ずしも高い手ではなくともよいが得てしてあえて安くしてしまうのを惜しむことが多いのです。そのため上がりそこなうこともあります。
 今回私が悟ったように、中国麻雀で戦略的麻雀に切り換えて以来負け知らずの強剛雀士になった中国の知人を知っています。彼も最初の頃は毎回勝とうとして大敗を続けた結果麻雀が一番弱い男と云われていたのが、今ではまことに強い打ち手になったということです。
 本当のことです。
 たゞし、私が次回もその次も負けない麻雀が打てるかどうかはやって見るしかありません。
 尚、付け加えるべきかどうかと思うのは、勝てそうにないと予感する時には、つまり気力も体力もない時は戦いに挑むべきか断るべきかそれが問題なのです。(おわり)

趣味 2014-02-25 [麻雀]

 『私が得たもの』とは、麻雀といえども戦略がなければ負けるということです。50年以上麻雀をやってたくせに、今頃何を云いだすのかと笑われるかも知れません。本当の意味で戦略的麻雀を私はやれて来れたのだろうか。或る時は戦略を意識せず戦術に走り、その結果はうまくいったり、まずかったりのくり返しで麻雀を戦ってきたのではなかったか。確かに戦術も効果を生むことはあるにはありますが、やがてそれは見破られ成功しないことが多いのです。
 戦術といえば、『迷彩』、『ひっかけ待ち(カンチャン、ペンチャン、タンキ待ち)』撹乱目的で唐突な『カン』、『ポン』、『ふりテンリーチ』ちょんぼ覚悟の『空リーチ』更には『口シャミセン』で誘導などなど、はては昔の手積みの頃の『積込み』は手品のようで戦術とは云えないものもあったりして、そんなものを見たり聞いたりやったりしながら麻雀を戦ってきた自分が昨年から今年初めにかけての負けつづけを通じて『得たもの』こそが忘れていた戦略的麻雀の打ち方でした。
 わかりやすく云うとその間私は、勝つことだけを念頭に打っていました。負けたくない、何が何でも勝つのだという思いが戦略的麻雀の打ち方を遠ざけていたのでした。これを云うとその通りだ、それで勝つ筈はないと諸兄は思う筈です。
 大病をしたから弱くなったと思われたくなくて、大病しても負けない自分を見たいという気持ちが毎回毎回募って、勝つことだけを思いつづけて戦ったことに気づいたのです。
 麻雀において戦略とは何かということですが、これに正解はあると思いますが、実戦でそれを忘れない自制心を常にキープ出来るかどうかであります。
 『つき』とか『運』とかの要素を同時に考えて見る必要性はあるかもしれません。というのは私達がやっている麻雀のルールは、その部分の係わりが極めて大きいのです。
 普通麻雀は東南まわしの半チャン切りで約1時間かかりますが、我々のはその半分の東風戦で約30分で終了します。その他、普通のリーチドラ麻雀と違う点はサイコロの目によって取り出しが決まりますが、その取り出しはワレメと云い、そこに当たった打ち手がツモっても、ツモられても、ふりこんでも親でも子でも倍払いの約束です。
 ドラは2枚メクリ、裏ドラは次ドラで2×4=8枚です。2.5万点元点で3万返しで、持ち点が3万点なくなればゲーム終了です。ですから、このルールで親のハネ万に偶々ワレメがふりこんでしまうと1.8万×2=3.6万で東場の一局でゲームセットとなります。配牌のドラの数やワレメに当たってツモられる回数が多ければ逆にツモる回数が多ければ持ち点の変動は大きくなるわけです。半チャン麻雀と違ってリベンジのチャンスも少ないのです。
 この様なルールにおいて相当程度運やつきの影響はあると思うのですが、これを正当化して私が負け続けた理由として運が悪かった、つきがなかったと片づけることは出来ません。やはり、私の戦略のない麻雀戦をたゞ勝つことだけを思い続けて臨んだ結果こうなったと考えることに解があったと思います。(つづく)

趣味 2014-02-24 [麻雀]

 気力・体力が充実しているのは麻雀を戦うための最低条件です。でも、それだけでは勝利出来る訳ではないのです。運やつきの具合も影響するとよく云います。そして、運やつきがないと思い込んだ時、それを克服出来るのは『技』次第とも。
 私の場合、正直昨年は気力・体力の回復に時間がかかりました。にもかかわらず、いくども戦に挑戦し連負したわけで、私の気持ちの中ではもう麻雀から足を洗うべき時が来たのだと深刻に思い込んで、麻雀をやらない人生をも想像して、ふっきろうとしたのは本当のことです。やれば必ず負ける事を実証してしまったため本当にそう思ったのでした。
 そこに、年が明けてぼちぼちメンバーから声がかかると、たわいのないことですが、年が変わったので、去年とは運もつきも一変したかも知れないという思いから、対戦をくり返したのでしたが、昨年に続いて相変わらず勝てないのです。どうしてだろう、何が原因なのかと迷いつつ考えをめぐらせていたところ、はっとひらめいたものがあって、これだ、これこそ私が失っていたものと思いついたものが先日書いた失敗の連続から『得たもの』だったというわけでした。
 そこで、22日の土曜日の対戦に臨んだのでした。戦い終えて今これを書いていますが、とにもかくにも私が『得たもの』のおかげで(?)ようやく勝利できました。暗く長いトンネルを抜けた気分です。
 次に私が『得たもの』と信じるものについて説明しようと思います。(つづく)


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