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少年時代の運動経験 [健康]

こんにちは。
今の私の健康に欠かせないのは、店に運動器具が売られてもいず、買えもしなかった時代に、自分の体をつかって遊んだ頃の事です。

終戦直後の小学生の頃の私の得意な運動種目に、
まず人間馬跳びがあります。
これは友人がひざに手をつけ、前かがみになった所を跳び馬の様に飛び越えます。
その馬の数を増やし乍ら、飛び越えるのですが、いつも私が人馬数最多をほこっていたのです。
ジャンプ力とバランス感覚が必要でした。
次に、思い出すのはこれも遊びスポーツのS(字戦)でした。
これは地面に大きなSの字を書いて、2つに分かれ、Sの丸い部分から外へ片足でぴょんぴょん出て行き、やはり片足の相手方ともう一方の足を使い乍ら戦い、両足をついた方が負けという遊びです。
これも私は最後まで勝ち残ったのです。
中学に入ると部活が有り、陸上部に入り、訓練を受けましたが、自慢できる記録はありませんでした。その頃すでに、球技や走りは自分に向いていないと思うようになっていました。
2年生から転校して、喜多方に移りました。そこでは、体操部に入り、どういうわけか好きになり、かなり真剣に練習に励みました。
床マット、吊り輪、鉄棒等一通りやりました。
高校になると、柔道部に入り、体操で鍛えた足腰を生かして、なかなか負けませんでした。練習の効あって、将来を嘱望される程まで腕をみがきました。しかし、段取試験に間に合わず、帯は茶色どまりでした。
また、2年生から東京へ転校することになり、そこで再び柔道部へ入部したのですが、ここでは苦い経験があるのです。
喜多方高校で、そこそこのところまで強くなっていたのに加え、転校先が進学校でもあった為、選手層も浅く、入部してすぐに選手に指名され、対抗試合に出る事になりました。相手は明大付属高校の体の大きな、いかにも強そうな黒帯です。
ものの見事に大外がりを受け、したたかに頭を床に打ち付けられたまま、失神してしまいました。脳震盪を起こしたのです。


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写真素材PIXTA

その次の大会に出場した時も、おはずかしながら、寝技に持ち込まれて、おくりえり首しめを受け、これもあっと言う間に失神してしまいました。
大学ではさすがに運動部に入るわけにはいかず、選択科目でフェンシングを選びました。
この辺りまで来ると、興味の本命はスポーツから離れていってしまった為、熱を入れて授業を受けた記憶はありません。わずかに、エペ・フルーレ、セイバーの名前が記憶に残ります。
就職してからは、自動車部の設立に加わり、そこそこの活動をしたのですが、これも失敗談があるのです。
参加したラリーの競技の途中、房総の田舎の砂利の坂道で運転を誤り、2M下の田んぼに車ごと、転げ落ちてしまったのです。
当時の大きく重たい手動タイガー計算機が車の中で頭にぶつかって来て、痛い思いをしました。
幸い生命は無事でした。
 
以上書いて来た通り、私は20才の前半位まで思い切り体を動かして、体を作って来たのだと思います。
(つづく。。。)

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  写真:タイガー手廻計算機博物館




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