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「絆(きずな)」 その1 <お墓の関係> [ビジネス]

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 拙著『美墓』(幻冬舍版) 気に入りのデザイン墓

最近この言葉を良く耳にしたり、目にしたりします。 
私が思うには、この頃の我々の生活の中で
「絆」のことがどんどん忘れられていくような傾向があり、
それを心配する誰かが色々なところで、この問題をとり上げ、
皆で「絆」のことをもう一度思い出してみよう、
或は考えてみようと自然発生的に高まって来ているのではないでしょうか。 
「絆」という時、それは人と人のつながりを指し、
親子、兄弟姉妹、親類、友人、同僚、師弟、同窓、恋人、同人、同郷、同生国、
過去には戦友等々、多様な人間関係の中に目には見えないが、
厳然と存在しているものが「絆」なのでしょう。 
その「絆」を感じるか、はたまた何とも思わぬか、
という点で現在の日本の社会には何とも思わないという人がいるという事実に
遭遇する事が多くなったことで、これは大変だと気付き始めた人が出て来ているのでしょう。

 私は商売柄、この「絆」の問題をお墓の関係でとらえてみたいと思います。
 「お墓とは何でしょう。」 
 「お墓は必要ですか。」 
この素朴な疑問に、誰がきちんと答えてくれるでしょうか。 
僧侶(宗教家)、先生(学者)、親、友人、先輩、書物、講演会の講師、
 墓石店(霊園)、葬送関連業者等々と、
おのおの必要に応じて対話する機会をとらえて答えを見出すのも有りでしょうが、
それで心から納得出来る答えに出会えるかどうかは簡単ではないと考えます。
では、どうすれば良いのでしょうか。
私の考えを先に言いますと、これら二つの疑問に対する正しい答えは
本当は誰も持ち合わせていないのではないかとこれまでずうっと思って来たのです。 
むしろ、理屈の上での答えは必要のないことで、自らがお墓の意味を感じ、 
お墓が必要と感じることではないかと思うのです。
この疑問の解決の根本に「絆」があり、その「絆」を意識できるなら、
いつかその答えを自分の中に見出すものと思っているのです。
 
私(あなた)が今ここに居る事、そのことを考える、
そして私(あなた)が係わった故人たちのことを考えるという事は、
「絆」をたぐることに他なりません。
 
いつ、どこで、どのようにそれらの「絆」をたぐり寄せれば良いでしょうか。 
私の場合、最も集中して考えられる場所はお墓です。 
もし、お墓がないとすると、私の気持ちは落ち着きません。
お墓は特別な空間で、
故人つまり思い出の人が祀られている場所です。

単なる広場や住居や街中とは違います。
と、そのように私自身が思っていると同じに、まわりの人間(特に親類や家族)も
思っているように見えます。
その場所で「絆」をたぐりよせ集中して思ったり、祈ったりする、
それが良いのだと思います。
 
もしも、「絆」を忘れてしまったとするなら自分とは一体何だろうと考え、 
この先、生き続ける意味そのものまで失ってしまうかもしれないのです。
 ですから、人に答えを求めるだけでなく、
自ら答えを見出す為にここにいう「絆」について
今一度考えることから始めるのはどうでしょうかとおすすめします。
 無理やり、理由や理屈に答えを求めるのではなく、
「絆」のことに思いを集中することで、
「お墓とは何か」、「お墓は必要か」という疑問に
すうっと理屈抜きで自分なりの答えが見えて来るものと思います。 
私はそう信じています。
   

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