師走雑感 9 2011-12-29 [思索]
今世紀に入ってからの中国石材業界の動きは、明らかに各企業が自らの利益追求を目的とした自由競争に懸命になっていったと言えます。そのきっかけは、先に触れた2001年に中国がWTOに加盟した後、以前は認められなかった貿易商社の設立が自由化され、いわゆるブローカー石材商社が乱立し、彼等がこぞって日本市場に対して色々な手段で営業活動をしかけて来たのでした。そのため、過剰供給の状態を作り上げることになり、乱売合戦となり、そのまま日本国内市場でも乱売が繰り返されるのでした。
この様な時の買手としてのマインドが大切で、乱売乱買合戦に巻き込まれて、そのリスクヘッジのため、中国の生産工場を次々と変えていくやり方が平気で行われる中、我々と泉徳会との関係は本当にゆるぎのないものでした。目先の利益を追い求めるというやり方をしていると、現在直面している供給の不安の時代に希望通りの答えにならないのだと思うのです。
私は作り手である中国工場、売り手である小売店、そしてそれを結ぶ卸売商社は三位一体となって共通の利害関係の中で乗り切る必要性を強く感じます。
つまり、中国の人達の生活レベルが上がって給料もそれに伴って変動するという経済原理に立って、墓作りのコストをもう一度見直すことは間違いなく今後の安定供給に直結することと捉えるべきではないかという事です。しかも、先に述べたように墓石という商品の価格の認識を中国製だから安くあるべきという尺度でなく、物作りの正当なコストの標準という観点から考えることと、墓石(ぼせき)という商品のレベルから墓石(はかいし)に移行する時、単なる消費材や装飾品ということを離れた心の拠り所としての特別な価値観を発する存在として、「高い・安い」の経済性の基準ではない価値判断をしていくことで、満足や安心を感じることが出来るのではないかと思うのです。附言すれな、お墓は高ければ良いという意味ではなく、安くても高くてもそれを持つ人達が感じる生きる喜びとか安心感から、お墓があって良かったと思えることが大事なことではないかということであります。
このように考えてくるとお墓がこれからも安定して中国から運ばれて来る方法は必ずあるのです。私はこれまでのやり方は間違っていないと信じています。
今、墓石業界で起きている諸々の問題が一般消費者に深く係わっているということを少しでも伝えられたかどうかわかりませんが、私としては消費者が、墓石店が抱える仕入れ問題につき、理解し得る手がかりとなってほしいとの気持ちでここまで書いて来ました。(おわり)
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