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趣味 2014-02-02-26 [麻雀]

 さて、先週の戦いにおける私の戦略はまず、勝つと思わないこと。このテーマで考えていたら、ふと美空ひばりの『柔』の文言が浮かんで来てしまい、我乍ら苦笑をこらえられません。どう云えばよいのでしょう、柔道でも麻雀でも戦いに臨んで『勝つと思うな思えば負けよ』は真理なのですね。
 先日終わったソチ・オリンピックでメダル獲得の期待が余りにも大きかった選手等がメダルに及ばなかったニュースが日本中をかけめぐりました。本人でなければ分からないことですが、もしかして本人達は期待通りの結果を出すために、勝つことしか考えられなかったのかも知れないとふと思ってしまいました。だとすれば、ここでもこの真理がはたらいたのかも知れません。
 それはともかく、私は勝とう勝とうとする気持ちを押え、相手の動きを見守ることにしました。負け続けていた時は、見えざる敵に備え不要と判断する牌を早め早めに切って、手の中にある4つのメンツと雀頭1対を完成すべく、ツモっては切り、ツモっては切りをすることが多かったのでしたが、場の捨て牌を見ると手の中のメンツよりも先にメンツが出来ていることがあり、その度に悔しがって自分の打牌の手順がまずいことをすぐ顔や声にして相手にわからせる結果になっていたのです。さらには早く上がることだけが頭にあって役牌が手の中にあると、あわててポンをして安上がりに甘んじたことは始終でした。この日は、この辺りの愚策を一切やらず、じっくりと場の流れを読み自分の流れを整えていく中に手の中は目を見はるばかりの変化があらわれ、ふりこみもたった1回を除きありませんでした。しかもその時の1回の失策は今も状況をはっきり覚えている程、冷静であったと云えます。しかし、それがまずい捨て牌であったのはまちがいなく、まだ完全に立ち直っていない自分に気づいていました。
 勝つと思わなくなって、牌の流れだけではなく相手の眼の動きなども察知するようになると捨て牌がすでに危険牌になっているかどうかも敏感に伝わってくる気がしてくるのです。そうなると、まわりこんで安全牌から切り出します。
 次に自ら高い手がてんぱった時、リーチせず『だまてん』をきめこむのですが、これがいつの間にか悟られてしまい相手がおりはじめて『だまてん』の意味がなく場が流れることもあったのですが、この時は気配を出すことなく相手が気づかぬ中に打ちとることも出来ました
 もう少し一段高い戦略で未だ私の思い通りにならないのは、誰からでも上がれば良いのではなくて、その回のトップをとるか2番に甘んじるか最悪でも3番におさまるか、4番手は絶対に避けるにはどうするか、これは早い中に作戦をねる必要があるのです。これは戦いの行方を想定しつつ最適な手を打つ、これは必ずしも高い手ではなくともよいが得てしてあえて安くしてしまうのを惜しむことが多いのです。そのため上がりそこなうこともあります。
 今回私が悟ったように、中国麻雀で戦略的麻雀に切り換えて以来負け知らずの強剛雀士になった中国の知人を知っています。彼も最初の頃は毎回勝とうとして大敗を続けた結果麻雀が一番弱い男と云われていたのが、今ではまことに強い打ち手になったということです。
 本当のことです。
 たゞし、私が次回もその次も負けない麻雀が打てるかどうかはやって見るしかありません。
 尚、付け加えるべきかどうかと思うのは、勝てそうにないと予感する時には、つまり気力も体力もない時は戦いに挑むべきか断るべきかそれが問題なのです。(おわり)

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