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師走雑感 5        2011-12-22 [思索]

その前にお墓の意味や必要性、そして価値観について私の考え方を述べておきたいと思います。世間のどこかから、お墓は要らない、お金もかかるしお墓参りも煩わしい等々といった話が聞かれます。それらは最近のトレンドとして捉えられ、ニュースとなったりすることもあります。これに同調する人もいるのかもしれません。新しいお墓や埋葬の傾向についても、石を使わないお墓の形が喧伝されてもいます。が、私が思うにお墓の需要全体の中のごく一部なのでしょう。何故なら少数で珍しいレベルでのニュース性を取り上げているのだと思うのです。まだまだ多くの日本人は石のお墓をお墓としてイメージしていると思うのです。

「絆」が、3.11が起きた今年は特に重く感じられたように思うのですが、お墓があるなしで絆の感じ方に違いがあります。思い出の人との対話する場所として、お墓の役割は他と比較し難いものがあります。石のお墓の向こう側に(彼岸)いる思い出の人を想い、語りかける自分の存在を感じる場所として、お墓が最もふさわしいと考えています。伝統的なお盆の行事も故人との絆を彷彿とさせるものがあり、今を生きている自分達を改めて考えたり、見つめたりする機会でもあるのです。それを考えるとお墓は既に商品の域を越えており、精神的に一体化出来る「価値」あるものとして理解し得ると思うのです。そして、そこがいつも清々しい場所でお気に入りお墓の姿形であれば、尚更その価値は高まります。親子・夫婦・兄弟姉妹・友人等々、様々な関わりを強く感じる場所としてお墓があること自体が、今を生きる人々に安心を与えることになると確信しています。

これまでに、日本の各地で津波や地震が町や村に災害をもたらしたケースを見聞きしました。この様な時、関係者達は一致して自分達の生活の場のことと同時にお墓のことを心配しています。このことは、人として自然な心のあり方なのだと思います。ですから、お墓は要らないと思う人がいるとすれば、まだそういう時に出会っていないだけのことで、絶対といっても良い程、お墓の存在が大切だと思う時が来ると思うのです。各種の法事を取り行うことが日本人の生活習慣に染み込んでいる時にお墓がない世界になっていたとすると「絆」を語るのも空疎に響くことでしょう。お墓とは、畢竟(ひっきょう) そういう存在であり、深く生活に係わっていると思うのです。(つづく。。。)


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師走雑感 4        2011-12-19 [思索]

「墓石」という”商品”と”価格”についてです。

私見ですが、墓石を「ぼせき」と読む時にいわゆる商品としての意味合いを持ち、「はかいし」と読む時、一つの商品の枠を超えようとするかもう超えてしまったかの意味を包含するようになると思えるのです。多分定義はないと思いますが、私達石材商社が取り扱う段階での墓石は商品として、一定の基準をクリアすることが求められています。そしてそれをクリアしたものだけが墓石という商品と認識しています。

その墓石という商品は墓石小売店から消費者、つまりお施主様に販売され、建立される段階でそれまでの単なる商品から商品を超えたものへと変わって行くのだと思うのです。ここにおいては、前述したように一定の基準をクリアした商品という価値とは別にお施主様の思いが込められた特別の価値が吹き込まれた存在としてお墓になり、永代に亘り守られていくのです。まず、以上のことをイメージしていただきたいと思います。その上で、お坊さんが走りまわる師走に、お墓に関することについてお話してみたいと思います。

商品としての墓石が、どこの誰にどのように作られているのかという点です。正確な統計数字はないのでおよそですが、日本では毎年約40万~50万基のお墓が建っているといわれていますが、その90%前後、即ち約40万基前後の墓石が中国で中国人職人によって、機械や人の手で加工製造されています。使用する石材の多くは、中国で産出する花崗岩(みかげ石)ですが、中国以外のインドやヨーロッパ、最近では日本の花崗岩も中国に輸出され加工され墓石となって、日本に輸出されているのです。この物流形態がほぼ定着しており、墓石業界もそれを前提に墓石販売を行なって来ているのです。ところがそこに大きな問題が発生しています。

それは日本にとって重要な供給国の中国の事情で供給の安定が危ぶまれる状態となってしまったのです。ご存知の通り現在の中国は新興国として急速に発展を遂げつつあります。その経過の中で国民の生活レベルも上がると同時に意識も変わり、労働に対する考え方もどんどん変わってきています。

かつて、日本の墓石加工地でさかんに墓石を生産した頃、そしてそれが韓国に一部移転した頃を振り返ってみると、今からおよそ30年か40年前の事ですが、その姿は変わりどんどんと中国へとシフトして行きました。墓石以外の他の商品も中国が世界の工場と言われる程、メイド イン チャイナ となったことはご存知の通りです。その一つ、墓石の中国生産に中国の現状が大きくのしかかって来ているのです。墓石を加工する作業はとても大変です。体力も健康も、収入も、そして環境も重大なチェックポイントとして考えられるようになっています。この問題の解決なくしては永続的な中国の石材業の発展はあり得ないという中国側の声が強く伝わってきます。

中国の石材工場の数は何百とあって、これまでは競って日本側の求めに応じてくれていたのです。それが工場の中には、職人がどんどん辞めてしまい注文通りの加工が出来ないところが出てきたのです。その理由の第一が製品の単価が安いので高騰する労働者の賃金に追いつかず,彼らの不満がどうにもならないと訴えているのです。少ない労働者で物を作ろうとする、更に問題は悪化します。つまり、約束の納期が守れなかったり、品質がおろそかになるなど、あちこちで問題が噴出します。それはこれまではクレームとして対処されて来ましたが、約束通りには応じられなくなっています。買い手側からすると当然少しでも安い価格を要求するのですが、価格・納期・品質を満足するように日中双方が交渉する際の戦術の進め方を誤ると最悪の事態を招く恐れがあります。つまり、買い手側の要求をあくまでも主張し続けて、それが通るか通らないかという究極の結論が得られたのは、これまでの市場環境ではあり得たのですが、今やその力関係は逆転しつつあるというよりも、逆転してしまったと思えるのです。

何よりもの証拠が、中国側から見て要求が満たされないとなると受注を拒む、つまり生産されず、供給が止まるという最悪の事態を考慮しなくてはならないのです。先程説明したように、日本の需要の90%近くを中国に依存している中での主導権は売り手側に移ったと見ざるを得ないわけです。では、このような力関係の中で安定した取引を可能にしていくにはどのようにしたらよいのでしょうか。その事を次に考えてみます。(つづく。。。)


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師走雑感 3        2011-12-09 [思索]

11月の末から12月の初めにかけて取引先の中国工場の代表が来日し、我社が運営する『安心石材店の会』の年次総会で最近の中国石材業界の実情についての講演をしてもらいました。

『安心石材店の会』(通称『あんしん石』)とは4年前に発足した全国的な墓石小売店の集団で年々会員数も増える傾向にあり、現在の正副会員に併せて約200社が加盟しています。世間的には墓石小売業の業界がどのような実体なのかについてまだ良くは知られていないのではないか思いますが、最近はマスコミが時々特集を組み、墓石を含めた葬送関連の記事を発信することが目につくようになり、徐々に浸透しているように見えます。

日本の大きな問題として「少子高齢化」が各方面で取り上げられている中で「終活」のことが流行のようで、日常での話題にさえなっています。造語の「終活」は「婚活」「就活」などに加えて人々の関心を呼んでいます。今年は3.11の事故が起きたことで死のことが一層身近として考えることが多かったように思えます。それは、身内や知人、ご近所の人、同郷人、しいては日本人同士の絆を再確認することに繋がるのです。そして、絆は亡くなった人々への想いへとつながっていて、ほぼ同時にお墓という概念が頭に浮かぶというように絆の大切さを感じることの中にお墓の果たす役割は非常に重要なものがあると思うのです。

今年、東北の被災地では今もなお、お墓の修復に追われています。人出が足りなくて作業が中々進まないで困っているところもあるのです。このような時に『あんしん石』の会員の中から県を超えて手伝おうという手が挙がり、応援活動をするなど、目に見えなくとも地道な活動をしています。勿論、今生きて生活をしている人々を守ることが大事であるのは言うまでもありませんが、故人を偲ぶよすがとなる墓所を守ることの意義は、人々の心の中で伝えられてきているのだと思うのです。

私の中では故人との絆を感じることで、今ある自分を眺めることが出来ると考え、お墓があることで安心に生きられるものと信じているのです。それ程に重要なお墓のことを書こうとして、随分回り道をしてしまいましたが、冒頭に書いた中国工場の代表が来て今の中国石材事情を説明したことについて、石材業界にだけ関わるニュースに留まらず、その先の一般消費者にも伝えたい事情があります。(つづく。。。)


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師走雑感 2        2011-12-08 [思索]

ところで、11月27日から3泊4日でいわゆる”断食道場”に行って参りました。この時期にこんな事を予定に入れてしまったので忙しいのは当たり前なのですが、前々から関心もあり一度は経験してみたいと思っていて中々実行できずにいたところへ、友人からさそわれて決心した次第です。

そこは温泉地伊豆の別荘地の中にあり、外からは”道場”のイメージはなく普通の旅館の佇まいです。案内書によると、いくつかのコースにわかれていて、初心者用と本格派と中間的なのがあり、私達は中間的コースを選択しました。1週間が本来の日程でしたが、4日に短縮しています。

初日は午後からのスタートで、その日の昼食、朝食は普通食で良いというのが書かれていたのを見て、軽く考えて肩の力も取れてすうっと流れに入れたのです。初めに面談やら一応の身体テストを受け、コース内容の説明を聞いた上で、体重は2~3kg減るという託宣があり、たった4日でそれだけ減るなら見事なものと半信半疑とはいえ一応期待して始まりました。

主要なポイントを挙げますと、食事は午前10時と夕方6時の2回。早朝と夜にヨガ体操、気功体操、散歩、そして各種全身マッサージ、温泉入浴は自由、夜は10時消灯。

私達の取ったコースの食事は生野菜サラダがメインディッシュでこれをしっかり噛んで食べ、何とか満腹感を得なくてはなりません。初日は、通常の朝食、昼の牡蠣フライライスの外食が腹に入っており、興味本位で食べ終わりましたが、2日、3日の朝食まで来ると、さすがに空腹感に襲われ、とてもたまりません。何をするにも力が入りません。滞在中この時とばかり、家で読もうとして積ん読のままであった分厚い近代史の書物をもって行ったものの、唯の一頁も読む気が起きず持ち帰りとなってしまう程でした。

明日解放されるという前の晩と当日の朝食には、わずかながら形のある食材による皿がいくつか並び、更に味噌汁の椀までついているという風に常食に戻す配慮がされているとのことで、それにありついた時はほっとし、嬉しさみたいな気持ちが込み上げて来たものでした。

そんな時、隣りの卓とはつい立てで仕切られており、互いに見ないようにしているものの、ちらっと見えてしまうのですが断食コースの2人が座って食事をしています。メニューはカップが一つ、何やらスープのようなものが出ています。これが夕食の全てらしく、飲み終わると静かに出て行きました。

そんなわけで私達だけがごちそうを食べている気分になったのです。本気でかかれば、自宅でメニューに沿って減量も出来そうで、何もわざわざ高いお金を払ってまで何も食べない旅行をすることはなかろうと自らも思うこともあり、これを話したかかりつけの医者先生からも一笑にふされたというのも事実なのです。

しかし、それはあくまでも理論上のことであの環境を自ら是として入り込むことによってのみ達し得る行動で、その他の状況下では絶対に不可能なことと確信します。何故なら、過去の禁煙の誓いの時と同じく食べたいおいしい食事の制限を何回も決心しては破って来たことを思えばであります。

ともあれ、最後の身体測定の結果は3Kg減量が出来、一緒の友人は4Kgも減った事実は何にも代えがたい成果として一応の収穫で終了出来ました。問題はその後の娑婆での食生活の自己管理がどの程度できるのかでして、本日までのところ気持ちはともかく、体は日に日に好きな物が食べたいという欲求が強まっているのを感じています。(つづく。。。)


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師走雑感 1         2011-12-07 [思索]

今年もとうとう12月になりました。どうしてか、このところばかに忙しい日々を送っている気がします。全くそれが個人的なことなのか、それともそれ以外の人間の場合はどうなのか考えたりもするのですが、まとまりません。

偶々、先日同い年(73才)の友人と電話で話していましたら、彼と同年代の友人が今年3人も亡くなったというのです。更に聞けば、その中の2人は何と私の友人でした。中学1年生の時の同級生です。改めて人生のはかなさを感じ、彼ともしみじみ自分達の今、及びこれからの生き方についてもう少し考えてみよう等と話し合ったのです。同時に思ったのは、自分達がもし突然、死に直面する事態となった時、このままで問題はないのだろうかという根本的な事です。理屈ではそれなりの準備をすべきと思い、日頃書物で終活について調べたりするのですが、現実には行動が伴っていません。いつ、どこで、何が起きるかわからないと思えば、しっかりしなくてはならないのですが、なかなか私はそうはいきません。心のどこかで、”それはまだ先のことで、いずれそうするつもりだ”などと思ったりして時間はどんどん経過していきます。実は毎日本当に忙しいのです。まわりの人はそれが歳をとらない秘訣だから無理に隠居する必要はないと励ましてくれますが、それとは裏腹に世に言う老害を振りまいてはいないかも気にしなくてはならないと自戒するのです。

何はともあれ今月、来月とスケジュールはびっしりで、まだまだ休めません。(つづく。。。)


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老人達の夏の1シーン 2011-09-07 [思索]

T君の馬 天皇賞優勝記念.jpg
 T君の馬 天皇賞優勝記念テレホンカード

その頃から11人の思いに変化が出始め、麻雀に付き合っていたら
いつ家に帰れるかわからぬと女性群は考え始めたようなのです。
それは彼女達の行動に表れ始めました。
麻雀メンバーはさっさと目的のホテルに向かうのですが
後続の女性達が付いて来ません。
どうしたのかと携帯で確認してみると
駅前の土産物屋で買い物をしているのです。
私達はホテルのフロントで麻雀をしたいのだがと申し入れると
部屋を取ればそこに麻雀卓持ち込むと言われ、
「それで良い、直ぐ始めよう!」とすっかりその気になったのですが
念のため確認して見ると卓は座り用で、
しかも手積みだというのです。
今時これでやる気にもなれず、そこは拒り、
他に本当にないのかと、改めて調べることにしたところ、
どうやら一軒営業している店があることがわかり、
そこから歩いて約10分程だというのです。

一向に女性達は到着しません。
そこでT君と私で一計を案じ、ホテルに入場料を払って、
入浴やエステを受ける等、女性達には体を休めて待ってもらおうと、
構わず女性5人分の料金の支払いを済ませ自分達の荷物をフロントに預けて
さっさと雀荘に向けて出掛けようとしたところに女性達が到着しました。
そこで一悶着あり、麻雀は諦めてこのまま皆揃って帰るのが
一番良いのではないかとの流れになりかけたのですが
すでに麻雀組は半ば以上やらねばすまぬ気になっていて
せいぜい早目の終了時間を提案することで妥協したのですが
その時私だけが忘れていた翌日の大切な予定が妻の口から出たのです。
何とそれは、明日(8月23日)から検査入院、
そしてそのまま手術となる予定があったのでした。
そこで妻は、これ以上付き合えない、入院の準備もあるので
このまま一人で帰るので、
皆とゆっくり遊んで来るようにと優しい言葉を残し帰りました。
残った4人の女性達は律儀にも夫々のご亭主を待つという意向で
そのままホテルに残り、我々は目指す雀荘へと向かったのです。
探し当てたそこは狭い店で雀卓が2台しかあいませんが、それはどうでも良いのです。
約束した時間まで早くやって早く終わろうということで再度戦闘開始です。

約束の時間の4時が来ても終わる気配はありません。
そこへ女性達から、これから帰ると通告があり
夫々がそれを確認したところで延長戦となるのです。
私もさすがに明日の妻の入院と私自身の日程を思い直して
ここ湯河原から天王台の自宅まで今日中に帰らねばならないと
決意を固めたわけでした。
終わってすぐに家につくという場所ではないと
改めて思ったりして何と年甲斐のもないことをしているのだろうと
ほんの一瞬自分を責めてみるのですが、
結局、満足いくまでやり続けて家にたどりついたのは
11時を少しまわった時間であったことは何よりと安堵したのです。

それにつけても、麻雀が面白いのか、
友達と過ごす時間が楽しいのか、
私の人生の一つ時を刻んだ今年の誕生日でした。
その後も、今日に至まで相変わらず忙しい現役の日程をこなしているその中に、
こんな生活の節目を作り、乗り越えることで
生きている実感を得ているのかもしれません。(おわり)



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老人達の夏の1シーン 2011-09-06 [思索]

源頼朝(複製).jpg
            源頼朝(複製)


今回11名の内訳は、5組の夫婦とシングル男1人の構成で
夕食以外の時間は、4人の男達が麻雀、
残りはおしゃべり、マッサージ、入浴、カラオケと適宜
自由に楽しむこととなっていたのです。
男6人の中の2人が麻雀のスターティングメンバーからはずれていたのは
1人がN君で病み上がりの体調を考えて
無理強いはせぬが良かろうという慮りともう1人はS君で
ここを読んだら怒り出すに違いないと思うのですが
最近はやると負けの実績を誇る程の
勝つ見込みが絶対考えられない絶不調を考えて
無理強いはせぬがよかろうという慮りをしてのことでした。

取り敢えず夕食まで4人で始めた麻雀がこの旅行での
中心テーマとなります。
夕食後再開した時は、食事前の戦いで大負けをしたH君と
はずれていたあの絶不調S君が入れ替わったのです。
抜けたH君は負けるのが嫌いなタイプですが
そもそも負けが絶対に嫌という程の負け嫌いではなく
負けると決めた金額以上負けるのが嫌という性格で絶不調の男S君を
うまく誘い込んだというわけでした。
さて、この新しいメンバーでゲームを始めてしばらくすると
他の1人T君が勝手に頼んでいたマッサージ師が時間通りに来てしまい、
メンバーがくずれることになるので、
先に抜けたH君はすでにカラオケのメンバーに参加していたのを
急遽呼び戻す仕儀となったのですが、
戻って来たものの本人はすでに戦意は失せており、
待たせていたマッサージ師を帰すわけにもいかず
呼んだT君の替わりにH君がマッサージを受けることになりましたが、
T君としてもやはりマッサージを受けたい気持ちが強く、
愈々代わりに病み上がりのN君を加える他はないということになり、
N君がしぶしぶ加わり、スターティングメンバーの中H君とT君の2人が抜けて、
S君、N君を入れた新規メンバーで継続となりました。

深夜2時頃まで続いた麻雀は衆議一決もう寝ようということで終了したのです。
そこまでの結果は私とT君の浮きでS君、N君、H君ともう一人の
スターティングメンバーのY君の4人が沈みという状態でした。
予定では麻雀はここまでで完全終了のはずで、
この結果を全員受け入れて翌朝食後にチェックアウト次第
帰路につくことになっていたのです。
ところがなのです。
食後、出発までの寸暇をもう少しやるかということになり、
負けを増やしたくないH君と予想通り不調男S君が抜けて、
私、T君、N君、Y君の4人で卓を囲むのですが、
折角昨夜私の誕生祝いとして勝たせてもらった
(皆がそういう言い方をしたのです。)
浮きを全部失い、
それどころか大きく負け込んでしまい
同情してくれるのですが、私には何となく挑発に聞こえてしまい
もう少し付き合おうかという提案をしてしまったのです。
病み上がりのN君も今日は見違える程つきに乗り、だんぜん浮き頭です。
そのため流石に、拒わるわけでなく、応じてくれたところ、今度は皆が
昨日は私の誕生日の祝いで今日はN君の快気祝いだと勝手に理由をつけて
麻雀再開の為ホテルを後にし、湯河原の駅近くまで行き、
電車に乗るはずもなく昼食を取る流れとなり、その間雀荘を物色します。
店の人に聞いても電話帳を見ても、雀荘は見当たりません。
その中に近くの温泉ホテルの中に行けば出来るという話に出会い、
食事を終えてそこに向かって全員ぞろぞろ歩き始めたのです。
                     (つづく。。。)

   

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老人達の夏の1シーン 2011-09-05 [思索]

漁港 - 写真素材
(c) blue horseストックフォト PIXTA
  真鶴港

 8月21日は私の73才の誕生日です。
私の妻の発案で数年前から毎年、私の誕生日に友人達を招待して
祝ってくれるのが慣しとなっています。
馬齢を加えることがそれ程嬉しいというわけではなく、
これを口実にして親しい仲間が集まって
互いの元気を確かめ合い、リフレッシュしようという主旨なのです。
友人達というのは小学校、中学校、或は大学からの友達ですが
夫々の連れ合いを加えた平均年齢も70才を完全に越えています。
はたの人が私達集団をどう見るか本当のところはわかりませんが
おそらく、というより間違いなく年寄りの集団と見てるでしょうに、
私達自身、口では我々年寄りは等と軽口をたたく時、
本気で年をとってしまったいわゆる老人達という意識はないのです。
むしろ、年を忘れて若い人以上に行動的で食欲旺盛で
好奇心が強く、負けず嫌いで、議論好きで、
という面を持ち合わせていると自負しているのです。
それは今度のように私の妻がスポンサーである時は尚更なのですが
平時に会費制形式で各自負担の行事に参加したとしてもほとんど変わりません。
とにかく全員が顔を会わせるだけでもはしゃぐのです。

さて、8月21日東京駅から7人が東海道線に乗り込み、
9人分の席を確保します。
2人が横浜駅で加わります。
取り敢えず、9人が同じ電車に揃ったところで
かねて用意した、てんでに希望する駅弁に食らいつきます。
取り敢えずと書いたのは、最終的にもう2人が加わって
11人の集団となるのです。
行き先は湯河原駅でほんの近間を選んでいました。
私達夫婦も遠い昔に行ったことがあるかなぁ〜程度の
記憶の温泉地ということもあって、行ってみたかったのと、
此の度の仲間の一人の病が治ったばかりで遠出は避けようというのと
もう一つ、遅れて来る夫婦2人が
遠くては時間的に参加出来なくなるおそれもあったという
あれやこれやの理由で、奥湯河原となったのでした。
順に話を進めて行きますと、
湯河原の駅には手配通りに大型タクシーが待っていて、
途中の観光スポットを真鶴、根府川と廻りホテルへ到着したのです。
道中、タクシーのドライバーは歴史にやけに詳しくて、
いろいろ細かい説明をしてくれました。
私には余り興味をひくこともなかったのですが、
仲間の1人がドライバーの説明から30分か1時間程経った
別の場所を走っている時突然、
「年を取ると記憶がにぶると言われているので、
 ここでテストをする。」
といきなり切出したのです。
源頼朝が平氏に追われて一時真鶴の港から安房へ船を出したのは
いつのことだったかを覚えている人はいるかという質問だったのです。
中々思い出せないままでいたので、私が1180年8月27日だと答えたのです。
皆がびっくりしたのは当然ですが、私自身何で覚えていたのかを考えると
その時8月という月と27日が私の誕生日に近いなと
何となく1180年だけを覚えておこうとして、
その年月日をたまたま頭の中でくり返していたところにあの質問で
私としては得意となって答えたという次第ですが、
こんなたわい無いやりとりの中に
年を取って世の中についていけなくなってはならないという思いが
皆にあってのことなのです。
他人が知れば、涙ぐましく思う話だと思いますが、
結局我々はやはり年寄りで、年を取ることを気にしていることなのかもしれません。

さて、遅れて来た友人の事情とはこうです。
彼は競走馬の馬主で本業のかたわら長年に亘って数十頭の馬を保有しているという
私達の中では希有の存在です。
その日も持ち馬が走るので、その走りを見て急ぎ駆けつけるということになっていたのです。
この日の馬場は新潟ということでテレビ観戦だったようで、
着外に終わり、かなり負けたと言っていました。
さて、彼が到着してメンバーが揃ったところで恒例の麻雀です。
夕食までの寸暇を惜しんでの戦いが始まりました。
今回の話題の中心はまたも麻雀にまつわるものです。(つづく。。。)

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夏の想い出     2011-09-04 [思索]

どじょう - イラスト素材
(c) yutiyoイラスト素材 PIXTA


連勝に続いて、8月のお盆の遠征の話です。
7月の帰国後2週間も経たない、すぐという12日からの日程を組んでのマカオでした。
1泊2日という理想の日程ではなく、
2泊3日としたのはお盆の休み気分を楽しもうという気持ちもあって
出掛ける前は色々と計画があったのでしたが、
結局はカジノ中心の旅となっていました。
この時の戦いぶりと結果は大いに私を勇気付けるものとなりました。
初日は夜の遅いチェックインの後のゲーム開始となりました。
(P)プレイヤー張りオンリーの作戦は変えません。
見(ケン)を入れながら、ここぞと思う時チップを置いてみる、
あのやり方が身についています。
流れに乗ってうまい具合に
はずすことも比較的に少なくてチップを増やしています。
短時間で(+)が、それも多めと確認出来た頃合いを見計らって
ゴー・トゥ・ベットです。

2日目は午後からの戦闘開始は本当に死闘とも言うべき戦いで
昨夜の(+)は見事ふっとび(−)に入ります。
それでもどうやら夕食までにとんとんに持ち込めたのでした。
夕食後の戦いは我乍ら良くやったと誇らしい気持ちです。
思いの外(ねらい通り)チップを増やしたところで
終了に踏ん切ることが出来たのです。

3日目の午前中、私が言うところのあの魔物のすむ時間帯に
おそるおそる手持ちチップを増やす試みに臨んでしまいました。
例の如く、一進一退を繰り返す中に(+)が続き、
昨日の勝ちを確実に増やせた段階で私の中の葛藤が起きたのです。
この勢いに乗ってもっともっと勝ちに行くか、
それともこの勝ちをここで確実にするかと、
ほんの一瞬の判断で席を立ちチップを現金と換え
この戦いを終えたのです。

この様にして、3連勝した勝因は何であったかを考えますと、
とても簡単な原則につき当たります。
それは、
1)勝った時に止める。
2)まだ、時間がある場合でもそれまでの勝ちを守ることを優先させて
  めったに再開しない。
3)確信出来ない時は休む。見(ケン)で行く。
4)逆に確信がもてた時は思い切って厚く張る。
5)長期の日程は組まない。
となります。
が、いつもいつもこれを守れるわけではありません。
自分で自分の行動を抑えきれずに大負けを喫することは、
これからも多分避けられないかも知れません。
もうすぐ4度目の勝ちを刻むべく挑戦したい気持ちを
ひっこめられない等ということ自体
今言った原則を守れないことの前兆かもしれません。
その結果はいずれ報告しなくてはなりません。(おわり)






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夏の想い出     2011-09-03 [思索]




ハネト 2011-08-06 18.48.jpg
  青森ねぶた祭り ハネトです。

次回は7月29日(金)の昼頃にアモイから空路でマカオ入りし、1泊して
翌30日(土)夕刻の便で再びアモイへ戻るという最短の日程でした。
私としてこの1泊2日の、しかもこの時間帯の戦いは理想のパターンです。
ゆっくり食べて、ゆっくり寝れて、
しかもゲームに集中出来るからなのです。

初日またまた私は、(P)プレイヤーオンリーで攻めました。
この日はいつもよりチップを大きい目に置いてみました。
格別の理由はありませんが、時には大きく勝ちたいものと
密かに思うこともあり、
その為には小チップをチマチマと置いていては達せられないと
理解していますので、今回その思いを遂げたいものと
大きめに張ったわけです。
大きく張れば勝てば大きく、負ければ大きくは当たり前で、
結局は振幅は大きくなるのです。
それ故にふと、日常の金の額が頭にちらつくと
緊張が高まったりするので、
自由自在にチップの強弱つけることは中々難しいのです。
それでも順調にチップが貯まったところで初日終了としました。

2日目の出発までの時間どうするかと、ここが悩みどころです。
今回は比較的調子に乗っているのだからもう少しやれば
更に積み増し出来そうだとの思いが広がり、
再度挑戦することにしました。
すると、昨日と今日とはどうも流れは変わってしまったようで、
見る見るチップは減り始め、
これはいかんと心を落ち着けようと
トイレに行ったり、深呼吸をしたり、背中をそらせたりして
平常心に戻ったところで、手持ちを計算してみると
嬉しいことにまだ浮いています。
しかも、前回の戦果よりも多く残っているのでした。
思い切ってそこで打ち止めを決め、現金に換えているところへ
仲間が部屋から降りて来て、
ゲームを始めるのですが、ここでも最後までは私は見(ケン)を決め込み、
(+)を堅持出来たのです。
ゲームを止めた後の残り時間はまだ2〜3時間とあったのですが、
この流れの中では、この時間こそが魔物なのです。
これまでに何回も喰われて来ました。
最後の最後まで楽しみたい(苦しみたい)という
強い欲望に打ち勝って、この回を勝ちで終了出来、
2連勝を記録出来たというわけでした。(つづく。。。)

              


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