師走雑感 5 2011-12-22 [思索]
その前にお墓の意味や必要性、そして価値観について私の考え方を述べておきたいと思います。世間のどこかから、お墓は要らない、お金もかかるしお墓参りも煩わしい等々といった話が聞かれます。それらは最近のトレンドとして捉えられ、ニュースとなったりすることもあります。これに同調する人もいるのかもしれません。新しいお墓や埋葬の傾向についても、石を使わないお墓の形が喧伝されてもいます。が、私が思うにお墓の需要全体の中のごく一部なのでしょう。何故なら少数で珍しいレベルでのニュース性を取り上げているのだと思うのです。まだまだ多くの日本人は石のお墓をお墓としてイメージしていると思うのです。
「絆」が、3.11が起きた今年は特に重く感じられたように思うのですが、お墓があるなしで絆の感じ方に違いがあります。思い出の人との対話する場所として、お墓の役割は他と比較し難いものがあります。石のお墓の向こう側に(彼岸)いる思い出の人を想い、語りかける自分の存在を感じる場所として、お墓が最もふさわしいと考えています。伝統的なお盆の行事も故人との絆を彷彿とさせるものがあり、今を生きている自分達を改めて考えたり、見つめたりする機会でもあるのです。それを考えるとお墓は既に商品の域を越えており、精神的に一体化出来る「価値」あるものとして理解し得ると思うのです。そして、そこがいつも清々しい場所でお気に入りお墓の姿形であれば、尚更その価値は高まります。親子・夫婦・兄弟姉妹・友人等々、様々な関わりを強く感じる場所としてお墓があること自体が、今を生きる人々に安心を与えることになると確信しています。
これまでに、日本の各地で津波や地震が町や村に災害をもたらしたケースを見聞きしました。この様な時、関係者達は一致して自分達の生活の場のことと同時にお墓のことを心配しています。このことは、人として自然な心のあり方なのだと思います。ですから、お墓は要らないと思う人がいるとすれば、まだそういう時に出会っていないだけのことで、絶対といっても良い程、お墓の存在が大切だと思う時が来ると思うのです。各種の法事を取り行うことが日本人の生活習慣に染み込んでいる時にお墓がない世界になっていたとすると「絆」を語るのも空疎に響くことでしょう。お墓とは、畢竟(ひっきょう) そういう存在であり、深く生活に係わっていると思うのです。(つづく。。。)
師走雑感 4 2011-12-19 [思索]
「墓石」という”商品”と”価格”についてです。
私見ですが、墓石を「ぼせき」と読む時にいわゆる商品としての意味合いを持ち、「はかいし」と読む時、一つの商品の枠を超えようとするかもう超えてしまったかの意味を包含するようになると思えるのです。多分定義はないと思いますが、私達石材商社が取り扱う段階での墓石は商品として、一定の基準をクリアすることが求められています。そしてそれをクリアしたものだけが墓石という商品と認識しています。
その墓石という商品は墓石小売店から消費者、つまりお施主様に販売され、建立される段階でそれまでの単なる商品から商品を超えたものへと変わって行くのだと思うのです。ここにおいては、前述したように一定の基準をクリアした商品という価値とは別にお施主様の思いが込められた特別の価値が吹き込まれた存在としてお墓になり、永代に亘り守られていくのです。まず、以上のことをイメージしていただきたいと思います。その上で、お坊さんが走りまわる師走に、お墓に関することについてお話してみたいと思います。
商品としての墓石が、どこの誰にどのように作られているのかという点です。正確な統計数字はないのでおよそですが、日本では毎年約40万~50万基のお墓が建っているといわれていますが、その90%前後、即ち約40万基前後の墓石が中国で中国人職人によって、機械や人の手で加工製造されています。使用する石材の多くは、中国で産出する花崗岩(みかげ石)ですが、中国以外のインドやヨーロッパ、最近では日本の花崗岩も中国に輸出され加工され墓石となって、日本に輸出されているのです。この物流形態がほぼ定着しており、墓石業界もそれを前提に墓石販売を行なって来ているのです。ところがそこに大きな問題が発生しています。
それは日本にとって重要な供給国の中国の事情で供給の安定が危ぶまれる状態となってしまったのです。ご存知の通り現在の中国は新興国として急速に発展を遂げつつあります。その経過の中で国民の生活レベルも上がると同時に意識も変わり、労働に対する考え方もどんどん変わってきています。
かつて、日本の墓石加工地でさかんに墓石を生産した頃、そしてそれが韓国に一部移転した頃を振り返ってみると、今からおよそ30年か40年前の事ですが、その姿は変わりどんどんと中国へとシフトして行きました。墓石以外の他の商品も中国が世界の工場と言われる程、メイド イン チャイナ となったことはご存知の通りです。その一つ、墓石の中国生産に中国の現状が大きくのしかかって来ているのです。墓石を加工する作業はとても大変です。体力も健康も、収入も、そして環境も重大なチェックポイントとして考えられるようになっています。この問題の解決なくしては永続的な中国の石材業の発展はあり得ないという中国側の声が強く伝わってきます。
中国の石材工場の数は何百とあって、これまでは競って日本側の求めに応じてくれていたのです。それが工場の中には、職人がどんどん辞めてしまい注文通りの加工が出来ないところが出てきたのです。その理由の第一が製品の単価が安いので高騰する労働者の賃金に追いつかず,彼らの不満がどうにもならないと訴えているのです。少ない労働者で物を作ろうとする、更に問題は悪化します。つまり、約束の納期が守れなかったり、品質がおろそかになるなど、あちこちで問題が噴出します。それはこれまではクレームとして対処されて来ましたが、約束通りには応じられなくなっています。買い手側からすると当然少しでも安い価格を要求するのですが、価格・納期・品質を満足するように日中双方が交渉する際の戦術の進め方を誤ると最悪の事態を招く恐れがあります。つまり、買い手側の要求をあくまでも主張し続けて、それが通るか通らないかという究極の結論が得られたのは、これまでの市場環境ではあり得たのですが、今やその力関係は逆転しつつあるというよりも、逆転してしまったと思えるのです。
何よりもの証拠が、中国側から見て要求が満たされないとなると受注を拒む、つまり生産されず、供給が止まるという最悪の事態を考慮しなくてはならないのです。先程説明したように、日本の需要の90%近くを中国に依存している中での主導権は売り手側に移ったと見ざるを得ないわけです。では、このような力関係の中で安定した取引を可能にしていくにはどのようにしたらよいのでしょうか。その事を次に考えてみます。(つづく。。。)
師走雑感 3 2011-12-09 [思索]
11月の末から12月の初めにかけて取引先の中国工場の代表が来日し、我社が運営する『安心石材店の会』の年次総会で最近の中国石材業界の実情についての講演をしてもらいました。
『安心石材店の会』(通称『あんしん石』)とは4年前に発足した全国的な墓石小売店の集団で年々会員数も増える傾向にあり、現在の正副会員に併せて約200社が加盟しています。世間的には墓石小売業の業界がどのような実体なのかについてまだ良くは知られていないのではないか思いますが、最近はマスコミが時々特集を組み、墓石を含めた葬送関連の記事を発信することが目につくようになり、徐々に浸透しているように見えます。
日本の大きな問題として「少子高齢化」が各方面で取り上げられている中で「終活」のことが流行のようで、日常での話題にさえなっています。造語の「終活」は「婚活」「就活」などに加えて人々の関心を呼んでいます。今年は3.11の事故が起きたことで死のことが一層身近として考えることが多かったように思えます。それは、身内や知人、ご近所の人、同郷人、しいては日本人同士の絆を再確認することに繋がるのです。そして、絆は亡くなった人々への想いへとつながっていて、ほぼ同時にお墓という概念が頭に浮かぶというように絆の大切さを感じることの中にお墓の果たす役割は非常に重要なものがあると思うのです。
今年、東北の被災地では今もなお、お墓の修復に追われています。人出が足りなくて作業が中々進まないで困っているところもあるのです。このような時に『あんしん石』の会員の中から県を超えて手伝おうという手が挙がり、応援活動をするなど、目に見えなくとも地道な活動をしています。勿論、今生きて生活をしている人々を守ることが大事であるのは言うまでもありませんが、故人を偲ぶよすがとなる墓所を守ることの意義は、人々の心の中で伝えられてきているのだと思うのです。
私の中では故人との絆を感じることで、今ある自分を眺めることが出来ると考え、お墓があることで安心に生きられるものと信じているのです。それ程に重要なお墓のことを書こうとして、随分回り道をしてしまいましたが、冒頭に書いた中国工場の代表が来て今の中国石材事情を説明したことについて、石材業界にだけ関わるニュースに留まらず、その先の一般消費者にも伝えたい事情があります。(つづく。。。)
師走雑感 2 2011-12-08 [思索]
ところで、11月27日から3泊4日でいわゆる”断食道場”に行って参りました。この時期にこんな事を予定に入れてしまったので忙しいのは当たり前なのですが、前々から関心もあり一度は経験してみたいと思っていて中々実行できずにいたところへ、友人からさそわれて決心した次第です。
そこは温泉地伊豆の別荘地の中にあり、外からは”道場”のイメージはなく普通の旅館の佇まいです。案内書によると、いくつかのコースにわかれていて、初心者用と本格派と中間的なのがあり、私達は中間的コースを選択しました。1週間が本来の日程でしたが、4日に短縮しています。
初日は午後からのスタートで、その日の昼食、朝食は普通食で良いというのが書かれていたのを見て、軽く考えて肩の力も取れてすうっと流れに入れたのです。初めに面談やら一応の身体テストを受け、コース内容の説明を聞いた上で、体重は2~3kg減るという託宣があり、たった4日でそれだけ減るなら見事なものと半信半疑とはいえ一応期待して始まりました。
主要なポイントを挙げますと、食事は午前10時と夕方6時の2回。早朝と夜にヨガ体操、気功体操、散歩、そして各種全身マッサージ、温泉入浴は自由、夜は10時消灯。
私達の取ったコースの食事は生野菜サラダがメインディッシュでこれをしっかり噛んで食べ、何とか満腹感を得なくてはなりません。初日は、通常の朝食、昼の牡蠣フライライスの外食が腹に入っており、興味本位で食べ終わりましたが、2日、3日の朝食まで来ると、さすがに空腹感に襲われ、とてもたまりません。何をするにも力が入りません。滞在中この時とばかり、家で読もうとして積ん読のままであった分厚い近代史の書物をもって行ったものの、唯の一頁も読む気が起きず持ち帰りとなってしまう程でした。
明日解放されるという前の晩と当日の朝食には、わずかながら形のある食材による皿がいくつか並び、更に味噌汁の椀までついているという風に常食に戻す配慮がされているとのことで、それにありついた時はほっとし、嬉しさみたいな気持ちが込み上げて来たものでした。
そんな時、隣りの卓とはつい立てで仕切られており、互いに見ないようにしているものの、ちらっと見えてしまうのですが断食コースの2人が座って食事をしています。メニューはカップが一つ、何やらスープのようなものが出ています。これが夕食の全てらしく、飲み終わると静かに出て行きました。
そんなわけで私達だけがごちそうを食べている気分になったのです。本気でかかれば、自宅でメニューに沿って減量も出来そうで、何もわざわざ高いお金を払ってまで何も食べない旅行をすることはなかろうと自らも思うこともあり、これを話したかかりつけの医者先生からも一笑にふされたというのも事実なのです。
しかし、それはあくまでも理論上のことであの環境を自ら是として入り込むことによってのみ達し得る行動で、その他の状況下では絶対に不可能なことと確信します。何故なら、過去の禁煙の誓いの時と同じく食べたいおいしい食事の制限を何回も決心しては破って来たことを思えばであります。
ともあれ、最後の身体測定の結果は3Kg減量が出来、一緒の友人は4Kgも減った事実は何にも代えがたい成果として一応の収穫で終了出来ました。問題はその後の娑婆での食生活の自己管理がどの程度できるのかでして、本日までのところ気持ちはともかく、体は日に日に好きな物が食べたいという欲求が強まっているのを感じています。(つづく。。。)
師走雑感 1 2011-12-07 [思索]
今年もとうとう12月になりました。どうしてか、このところばかに忙しい日々を送っている気がします。全くそれが個人的なことなのか、それともそれ以外の人間の場合はどうなのか考えたりもするのですが、まとまりません。
偶々、先日同い年(73才)の友人と電話で話していましたら、彼と同年代の友人が今年3人も亡くなったというのです。更に聞けば、その中の2人は何と私の友人でした。中学1年生の時の同級生です。改めて人生のはかなさを感じ、彼ともしみじみ自分達の今、及びこれからの生き方についてもう少し考えてみよう等と話し合ったのです。同時に思ったのは、自分達がもし突然、死に直面する事態となった時、このままで問題はないのだろうかという根本的な事です。理屈ではそれなりの準備をすべきと思い、日頃書物で終活について調べたりするのですが、現実には行動が伴っていません。いつ、どこで、何が起きるかわからないと思えば、しっかりしなくてはならないのですが、なかなか私はそうはいきません。心のどこかで、”それはまだ先のことで、いずれそうするつもりだ”などと思ったりして時間はどんどん経過していきます。実は毎日本当に忙しいのです。まわりの人はそれが歳をとらない秘訣だから無理に隠居する必要はないと励ましてくれますが、それとは裏腹に世に言う老害を振りまいてはいないかも気にしなくてはならないと自戒するのです。
何はともあれ今月、来月とスケジュールはびっしりで、まだまだ休めません。(つづく。。。)
老人達の夏の1シーン 2011-09-07 [思索]
老人達の夏の1シーン 2011-09-06 [思索]
老人達の夏の1シーン 2011-09-05 [思索]
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夏の想い出 2011-09-04 [思索]
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