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ブログを書く理由 2014-06-30 [仕事]



 私は職業柄、生きた証として思い浮かべるのはお墓のことです。この場合、重要なことは、一人の人間がこの世に生まれそしてその人生を全うした事実であります。残された人達がそのことを心に留め、想い出し対話することが出来るのは故人の魂が宿るお墓の前でしょう。生前の業績や功績の有無に係わらず、故人に特別な想いをよせることが、人が人生を生きた証と考えています。

 ところが、このような考えとは別に、お墓に墓石を建ててお墓参りをすることだけが葬送のし方ではないとする風潮が出ています。ここではその理由を詳しく書きませんが、樹林墓地、樹木葬、散骨、集骨堂、室内遺骨搬送型等、従来の墓地とは異なるイメージです。自分の世代で跡継ぎがなくなるとか、子供に面倒はかけたくないとかの理由であったとしても人が生きた証として後世の人達が思いをよせる場所はその人の魂が眠るお墓であるべきとの思いを強く持っています。

 色々な係わりを持った人達が、故人をいつの間にか忘れてしまって思い出すこともなくなったとしたら、それこそ、その故人の人生とは何であったのだろうと思うと余りにもわびしすぎると思います。

 最近建てた私の家のお墓には祖父母、父母をはじめ関係の深い故人が眠っていて、一年の中何回も思い出し対話しています。

 お墓がある限り、そして私が生きている限り続けるお墓参りの時、特に私の心の中で身近に先祖は甦ります。(おわり)




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ブログを書く理由 2014-06-27 [仕事]

 私のブログはどんな意味があるのだろうかと、この頃考えることがあります。
最初の頃は本業の石材にからめて何事かを書いていく中に読む人の中にもしかして石材にいささかでも係わる人がいて、私の石材人としての体験や事業上での考え方等を知ることになり何かしらの参考になるのなら、十分に意味のあることと思っていました。
 しかし、そう思って石材に関することだけ書き続けることも出来ず、時々私の趣味について書いたり、或る時はその時々の思いを綴ったりして、昨年は病気のことを書くなど、殆どとりとめのない方向にいっている感じがします。本当のところ誰が読んでくれているのか分からないまま、折にふれ私のブログについてコメントを頂くことがあったりすると、私としては励まされます。でも、私がブログを続ける意味はやはり、自分自身のためと云うほかありません。楽しいし、自分の考えをまとめるのに役に立つし、後から履歴書がわりになるにちがいありません。
 私が生きた証を何かに刻みつけている心地です。少し大げさになりましたが、大げさついでに『生きた証』について少し考えをすすめたいと思います。
(つづく)

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最近の私の体調 2014-06-24 [健康]

 さて、気力のことです。前にも書いたような気がするのですが、今回別の角度から検証して見ます。と書き出しましたが、やはり気力は十分に戻っていないのかも知れません。というのは、変な話ですがこれまでブログを書くときには前に書いたこととの整合性はどうかがとても気になり、遡って読み返すことをしょっちゅうやっていましたが今はその気力を失っているのです。年齢のせいではなく、あの消耗状態からまだ完全には立ち直っていないせいと思いたいのです。その一番の証拠は仕事上で長文の説明書や報告書等を読み終えるのはかなりの勇気が要ります。ベストセラー小説でさえも次々に読破する気がおきていません。というとまるで無気力な人間に見えるかも知れませんが、今月(6)はマカオでの戦いとか麻雀の定例会にも参加して、我乍ら見事な戦果を収めています。その最中は自分としては本当に気を入れて戦うことが出来ました。これは気力が充実していた証左にちがいありません。さらには中国の取引先の石材新工場オープンセレモニーへ出席のため出張してきました。ただ、私の偽りのない気持ちを云えば、私の気力は戻ることは戻ったのですが、持続できていないのです。ですからカジノにしても麻雀にしても長時間の連続は無理なのです。短い時間での戦いに集中することでよい結果を得ることを悟りました。いささか麻雀の勝ち逃げが気になるところですが、さすがカジノは勝逃げにクレームをつけるはずもないので今はいい気持ちでおります。(おわり)
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最近の私の体調 2014-06-23 [健康]

  私が大動脈瘤の切除手術を受けたのは平成2571日でしたから、もう少しで、まる1年が経ちます。その日のことは一生私の記憶に残ることでしょう。今さらのように大きな手術であったと思います。

 今日私が書こうとしているのは、私の体力・気力がどの程度回復しているのかについてです。体力と気力を一緒にするのはあまりにも大ざっぱになってしまいますので分けて考えることにします。

 体の状態については先日(65)執刀医である山内先生に診て頂いた時も特に何も云われず、半年後に診せに来るようにとのことでしたから、順調と勝手に思っています。私の年齢を考えると順調なのかそれとも、多少なりとも変調があるのか本当のところはわからないのです。私の記憶では体力の回復の具合は、私の若い頃のことが頭にあって、本来もっと早くにもとどおりになっていてもおかしくないのではないか、つまりは外目にはともかく、私の中では手術前のように自由がきかないと気になっているのです。

 例えば、動作がのろのろして昔のように俊敏でありません。歩行にしても、まっすぐに歩こうとすることに多少の努力を必要とします。年なのだから仕方ないことだとか年にしては順調ではないかと思われてはいないか、等々考えるとこの状態が順調なのかどうか明確に云いきれないのです。他にも自分だけが気づいていることがあります。階段の昇りの時とかほんの少しでも早足で歩いたりすると息苦しさを覚えるのです。この点は、かかりつけの医者で聴診器を当ててもらった時も「とても良いですね」という言葉をもらうとそれ以上つっこんで聞かないようにして、自分は何もないと思ってしまいます。75才の私がこんな風に考えたり、書いたりすることが出来ることが順調な回復過程にあると思うべきなのでしょう。(つづく)

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